2013-07-27

「Vacancy」、「レイオフ」、「貧困層」

「vacancy」

先日、外国人の友達から、日本の会社に履歴書を送りたいからこの英語を日本語にしてくれない?と頼まれた。
彼は日本語が結構できるんだけど、ビジネスの日本語まで行くとさすがに難しいようである。送られてきた英文を見て、ちょっと考えた。

I hope you find my profile interesting to be considerate for any vacancy.

vacancy。この単語、「日本で働くこと」に対する自分の考えがものすごく曖昧だったんだなあということを思い知らされる。
なんとなく進学との選択肢で就職を選び、なんとなく新卒一括採用をしている企業に入って、日々おかしいなーと思うことがあってもタスクをやっつけていくのはそれなりに楽しくて、人事異動を数回しながらなんとなく10年ほど働き続けている会社。その会社にvacancy(空き)がある、と思ったことはないのである。

毎年多くの人が定年退職して、多分同じくらいか少ないくらいの新卒の人が入ってくる会社。社内の人事異動は3年おきくらいにあり、人事異動のルールとなる社内の「人材育成計画」は、必ずしも悪いことばかりではないけど人事に関わる人が変わるたびにころころ変わる。
そういう会社の人事異動は、何百人というパズルをなんとなーく組み立てている感じである。そのパズルを組み立てるのはもちろん大変だろうけど、ピースははめる場所からちょっとはみでてたり、足りなかったりしてもそこまで問題ではなく、「誰が」「どこで」働いている、というのはそこまで重要じゃなくそうに見える。それよりも、とにかくピースを「若者を現場に」とか「この人は高学歴だから出世できるポジションへ」みたいなルール通りにはめる、ということに注力されている気がする。
だから「vacancy」という単語を見たとき、ピースである彼の能力をきちんと判断して、会社のリソースであるパズルのどこにはめるか、ということをきちんと考えてくれる会社だといいなあという気持ちが生まれたのである。

彼が応募しようとしていた会社のサイトを見たら、
・新卒予定者(国内大学)
・新卒予定者(海外大学)
・経験者採用
という3つの採用種別があった。彼のような大学院を卒業して母校で有期雇用のティーチングアシスタントとして働いてた人は経験者採用になるのだろうか、と思いリンクを開いてみたら、経験者採用は履歴書が手書き必須、と書いてあった。
手書きの必要性が全然わからないんだけど、日本の郷に従え、ということなのかな…

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「レイオフ」

vacancyについて考えさせられたほんの数日後、こちらの会社でいちばんよく話して気が合うと言っても過言ではない同僚から、普段とあまり変わらない声音で突然告げられた。
「7月末で終わりなんです」
聞いた瞬間、意味がよくわからなかった。最近その人が契約社員?派遣社員?ということに気づいたくらいだったので、思わず、「えっ、なんで?」と聞いてしまう。うーん、とちょっと考えたあと、ぽつりと言葉が発せられる。
「仕事に合わなかったみたいで、もういらないって言われてしまいました」
ああ、わたしのバカ。聞かなきゃよかった…

帰り道、一緒に歩いていた長いこと派遣社員をやっているという別の人が、「あの人の気持ちがすごくわかります」とため息をつく。
「レイオフされるって、やっぱり考えちゃうんですよね。自分の能力がもっとあったらよかったのか、とか」
レイオフ。昔、lay offは会社都合の解雇、fireは能力不足や勤務状況がよくない場合の解雇で、レイオフは悪いものじゃないんだよーという話を聞いたことがあるのだけど、やられた方はたとえ履歴書に傷がつかなくても精神的にダメージを受けるよねということを恥ずかしながら一連の会話で気づかされた。
これまでわたしは、前述の外国人の友達のように、有期雇用の仕事をすることもなく今の「終身雇用っぽく見える」会社に新卒で入ってしまっているから、自分がレイオフにあうかもしれないという可能性を考えたことがなかったし(辞めるシミュレーションはよくする)、契約が切れたあと次どうしようと考えて履歴書を送るみたいなこともやったことがない。
わたし、ネットでよく叩かれてる「既得権者」なんだなと思ってちょっと気持ちが重くなった。

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「貧困層はなんで貧困なの?」

…なんてことを、日本から来ている駐在員の同僚が突然言い出した。前述のレイオフについて聞かされる数時間前のこと。
「仕事なんていくらでもありそうじゃん。能力の問題なの?それとも性格が働くことに向いてないとかそういうことなの?」
「教育を受けられないから、いい仕事につけないとかなのかな」
無邪気な疑問に対して、別の駐在員の同僚が言う。ちなみに両方同年代の男性で、都会の中高一貫校を出て、一流大学に入って、うちの会社に入った人たちである。
アメリカ人の同僚は、「うーん…難しい」と言葉を失ってしまった。
わたしはこの辺の話にすごく興味があって、これまでに貧困に関する本はたくさん読んでいるのに、「例えば建設現場で働いてて、けがをしちゃって働けなくなるとか、何らかの疾患で働けなくなって貧困になってしまうっていうのはあるよね」というのが精一杯だった。

この会話に、仕事がしたくても大学院を出た経験を生かせる仕事にvacancyがない友達や、レイオフされてしまう同僚の話がちょっとかぶってきて、金曜日の夜から土曜日にかけて頭がパンクしそうだった。

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貧困や働き方に関しては、この辺の本がとても考えさせられたのでご紹介。決して読後感がいいわけではないけど、知りたい方、考えたい方へ。


貧困の光景 (新潮文庫)(曽野綾子)
生き生きとしたアフリカの情景と貧困のコントラスト、著者の苦悩がひしひしと伝わってくる。


子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)(阿部彩)
これは日本の話。日本では6人に1人の子供が「貧困」だという事実はショック。
以下のNHKの番組で話していることがこの本の中に事例と一緒に書かれているかんじである。
視点・論点「子どもの貧困 日本の現状は」(NHK)
貧困とされる家庭の生活の様子を読むと、暗い気持ちになって、自分にできることはないかなと考え込むこと間違いなし。


なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望 (山田昌弘)
「顧客の便利は労働者の不便」というところは「経営者の便利は労働者の不便」にも言い換えられるんじゃないかなー。山田さんの本はほんとに毎回考えさせられる。理論だけでなく、若者の視点に立った考察がうれしいし、どの著作もどこかに希望を感じられる。

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先日読んだこの本に、現代は昔よりもいろいろな情報が手に入りやすいので、Y世代(ミレニアル世代)以降の人たちは様々なことを身近に感じられるようになってきている、ということが書いてあって共感した。


ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)(リンダ・グラットン)

もし本当にそうなのだとしたら、週末に考え込むことは未来のためにそこまで無駄でもないのかもなと感じた。
…そう感じないとちょっといてもたってもいられない気持ちだった、ともいえる。

2013-07-21

ミツワ初上陸、「日系」スーパーはこれからどうなる?

ミツワ。それはニューヨーク在住の日本人なら誰でも耳にしたことのある日系スーパーである。ニューヨークのスーパー事情をひたすらブログにまとめて(これとかこれ)電子書籍にまでしたくせに(これ)、ミツワ行ったことないなんてもぐりだよね、ということで行ってきた。
マンハッタンから行くにはポートオーソリティーからのシャトルバスを使う。水曜日、木曜日以外は片道3ドル。どうやら他のバスよりもお手頃なせいか、地元の人の足としても使われているようである。
25分ほどで到着!
外観はよくあるアメリカ的な四角い建物…なんだけど、「九州沖縄物産展」とかでかでかと出ている。残念ながら今週の中盤からだったが、店内ではすでに準備が始まっていた。

この中はどれだけ日本人だらけなのか!とわくわくしながら店内へ。
いきなり目に入ってきたのは混みまくりのフードコート。おなかも空いていたのでさっそくお昼ご飯を食べることにした。
あの山頭火があるというのも日本人社会では有名。しかしお昼ちょっと前にも関わらずお店の前には長蛇の列で、並ぶのがめんどくさい。その横にあった茅場という名前のお店でうどんとかつ丼のセットを頼んだ。8ドルくらいで超お得である。ニューヨークじゃ考えられない値段だねえと夫と感動した。
「当店のかつ丼はひと味違います!」みたいなことが書いてあったのでちょっと期待してたんだけど、うん、まあ普通だった。値段なりである。夫が頼んでいた天丼はそこそこおいしかったので選択を間違えたかもしれない。
フードコートには、中国語やスペイン語を話している家族連れっぽい人数の多いグループが多くて、日本人があまり見当たらない。お手頃だから近所の人たちが買い物はしないけどごはんだけ食べにきているのかなあと推測。

本館を見る前に離れというか向かいの建物へ。大きな三省堂書店があった。
東京にいた頃、一番好きな本屋さんは神保町の三省堂だったよ…ということを思い出してホームシック再燃。マンハッタンの紀伊国屋より見やすい陳列をしてある気がするけど、商品の絞り込みがうまいのだろうか。一番奥にはなつかしい日本の文房具もたくさん売っていたけど、来月一時帰国するのでとりあえず見なかったことにする。

その他この離れには陶器を売っているお店やおもちゃ屋さんも入っていたのだけど、なんだろう、雰囲気が懐かしいのである。プラモデル系の箱が積み上がっていたし、奥まったところには日本人形とか売ってたし、「わたしたちが子供の頃のおもちゃ屋さんっぽいね」という意見で夫と一致。今思えばテレビゲーム類が置いていなかったかもしれない。お店の中にはお客さんより店員さんが多いくらいの静かさで、日本の地方を彷彿とさせる。
離れの一番はじっこのスペースは空いていて、テナントを募集していた。

さてやっと本館へ。
マンハッタン在住のわたしたち、ニュージャージーは道も広いし勝手にミツワは奥が見えないくらい大きいんじゃないかな!?と想像していたのであるが、そうでもない。向こう側が見渡せないくらい広いなんてこともなく、日本の地方のスーパーくらいの大きさである。都内でもこのくらいの大きさの西友とかあるよねというくらい。イオンモールほどは大きくないと思う。
で、フードコートの混みっぷりはなんだったのか、スーパーはそこまでごみごみしていない。試食をくばる人がたくさんいるんだけど、飛ぶようになくなるなんてことはなさそうで、店員さんたちが呼び込みをしていた。
前に友達から「日本よりも種類が多い!」と聞いていた納豆売り場。
確かにこの充実度はすごいかもしれないけど、都内でスーパー選びたい放題の場所に住んでいたわたしとしてはそこまでの感動はなく…すまん友人。結局買わなかった。
ところで、ミツワのある場所には、こんな不思議な法律があるそうだ。

「電化製品は郡の法律により日曜日の販売はできません。」
へー。これおもしろい。「Blue Law」というのは日曜日をお休みと課す法律だそうで、おそらくキリスト教の名残なのであるが、アメリカ国内でもそこまで多くの場所で残っているわけでもないようである。


このミツワの近隣のBergen countyでは、日曜日の電化製品や洋服、家具の販売が禁止されている。このBlue Lawさん、去年のハリケーンの時には1週間だけ特別措置がとられたようだけど、その後見事復活を果たしたそうだ。
しかしさーーー、ヨーロッパみたいにお店ごと休みってわけじゃないと、開いててお客さん来るんだし、レジの人は働いてるんだし意味ないよね…と激しくつっこみたくなる気もする。


あ、もうつっこまれているようである。税収を上げるためには日曜日の営業を許可するというのは手っ取り早いだろうし。
ということで、電化製品売り場はきちんと見られなかったのだけど、テスコムの割とお手頃なキッチン用品とかもあるので必要な人はいいかもしれない。

最終的にネギとかちょっと懐かしい細長いナスとかカルピスとか、日本を思わせるその辺の食材を買って帰ったのであった。スーパー研究家のわたし観察によると、野菜の価格はもしかしたらダイノブに軍配が上がりそうではあるが、せっかく来たし何も買わないで帰るのも悔しい。レジもそこまで混んでなくて快適と言えば快適な買い物体験であった。塩辛とかイカの一夜干しとかは魅力的だったけど、暑いのでちょっと怖くてやめてしまった。次行くとしたら保冷バッグを持って行くかも。

しかし、なんと言えばいいのだろうか。わたしの想像の中でミツワはなんでもある巨大なサンクチュアリと化していたので、想像を盛り上げすぎて、がっかりした感がある。売り場面積が広いからアドバンテージのありそうなのに、マンハッタンのサンライズマートとかダイノブとそこまで変わらない品揃えのような気がしてしまう。
期待していた化粧品とか日用品売り場にも、わたしがすごく欲していた汗拭きシートが見つからない。日本だとどのドラッグストアでも入口近くに置いてあるのに。お徳用サイズも出ちゃうくらいなのに。なんで男性向けのギャツビーの顔拭きはあるのに女性向けの汗拭きシートはないんだろう?ニューヨークで働く日本人女性は汗かかないんですか?
日本であれだけ支持を得ている(と勝手に思い込んでいる)商品がないとなると、せっかく広いのに、サンライズマートやダイノブと同じ仕入れ元の同じカタログから買ってますね?という深読みをしてしまう。需要を無視しているのは仕入れ元なのかそれとも買う方なのか。あ、汗拭きシートくらいで騒いですみません。ともあれ、マンハッタンからわくわくした気持ちで来るお客さんに対する差別化ができていないように感じた。その差別化のできてない感じが、時間が止まったかのように古さというか哀愁というか、「海外での日系スーパー」の衰退を予期させるのであった。

日系の食べ物に関して言えば、和食の人気の高まりとともに少し大きめのスーパーに行けば簡単に見つかるので、ミツワができた時代とは和食材のレア度が変わってきているというのもあるだろう。
また、以前の日本人よりも今の日本人はいろいろなものを食べて育ってきているから、「焼き魚食べないと1日が始まらない!」「お酒のおつまみには絶対枝豆と塩辛」という昔の人たちのこだわりは、「今日の朝はパンでもいいや」「お酒にはチーズでもいいや」という嗜好に置き換え可能だったりして、昔からの蓄積による食へのこだわりというか欲求も変わってきているだろうし、ゼロにはならないだろうけど需要そのものが減って行く恐れもある。
おそらく、だからミツワは日系スーパーとしてこちらの現地の人たちが食べられないような納豆とかで日本人を呼び込んでいるのだろうけど、もっと食が多様化して、日本人の和食依存度が下がったらこういうお店は何を売りにするんだろうなあというのを考えると面白い。日本人に限らず和食大好きな人たちを呼び込むか、「どうしてもこれだけは!」というものを高値で売るか。
…と、ここまで勝手に妄想してしまいました。

帰りのシャトルバスの乗客の中で日本人はわたしたちだけだった。
とりあえずもう1回くらいはちゃんと観察するために行くかも。でも往復1時間以上は遠いので涼しくなってからにしようと思う。

(2015/2/17追記)

ありゃりゃ、ミツワのシャトルバス、2014年末でなくなったようです。

2013-07-20

ここのところ読んだ本の記録

久しぶりのブログになってしまった。1週間以上空けないようにする!という抱負を年始に立てたけど(ああ、ここに明記している)、今更ながら最近『あまちゃん』にはまってしまって、空き時間にはずーっと見ていた。
やっとリアルタイム放送に追いついて、1日15分で済むようになったのでブログに戻ってきたのだけど、テレビドラマを見なきゃ!と思えるような番組は数年ぶりなのでうれしいとともに自分の中の廃人気質に気づかされて、ちょっと怖いなーとも思ったりした。
というどうでもいい前置きは置いておいて、最近読んだ本を軽くまとめたい。


残月 みおつくし料理帖 (ハルキ文庫) (高田郁)
うひゃーーーついにきました!みおつくし料理帖の最新刊ー!
個性のあるキャラクター全員にストーリーが展開されていくいつもの流れなんだけど、今回はずーっと気になっていたお話が一気に進行したり、今後の急展開を予感させる流れになったりと相変わらずどきどきはらはらしながらも続きが楽しみになる。
街や食べ物の描写はとても生き生きとしていて、江戸時代にタイムスリップした気分になれることうけあい。食材のみずみずしさや色合い、香りまで伝わってくる描写はさすがとしか言いようがない。
これを読んだあと和食が恋しくなるのが苦しいところ。大戸屋行くかー。凍み豆腐を使った料理ならこっちでも作れそうだなあ。


選択の科学 (シーナ・アイエンガー)
個人主義的社会と集団主義社会という言葉はよく聞くけど、実際にどういう面で影響を及ぼしているのかということを研究結果を通して理論的に書いていておもしろい。
例えば個人主義社会のアメリカでは小さい頃から何かを考えて、選ぶことを求められて育てられるけど、集団主義社会の日本では年長者の言うことに従うように育てられる。その育てられ方によって、それぞれの文化で育った人たちに対する効果的な動機付けの方法は異なるということを示した研究は、いろいろ考えさせられるところがあった。自分を棚に上げて、「既定路線」をたまにの飲み会で愚痴を流しつつも基本的に何の迷いもなく邁進する、日本の元同僚たちを思わずにいられないのである。
選択肢の多さが迷わせるとか、利益につながらないということは以前読んだこの本とかぶるところがいっぱいあるような気がした。それでも人生の中でとりうる多様な選択肢があるということは社会にとって重要だと思うけど。著者の日本の文化に対する造詣の深さも手伝って、ベストセラーになったのかなあ。


ビッグデータの覇者たち (講談社現代新書)(海部美知)
アメリカのいろんな事例が幅広く載っていておもしろい。
以前のわたしのように「ビッグデータとか言っちゃってなんだよ、結局情報分析じゃん。アメリカって大げさな名前つけるの好きだよね」って思う人もいるかもしれないけど(すんません)、世論調査や視聴率に代表されるような大雑把なこれまでの情報分析というか統計手法がこれからはどんどん細かく、いろんな情報を含んだ精度の高いものになっていくんだろうなーと思うと、これまで世の中で埋もれていたものがさらに発掘されて、個人対個人の小さな商売みたいなものもさらに活性化するんだろうなあとわくわくしてくる。
あと、わたしはこの本の中の個人間通信(コミュニケーション)とマスコミの比喩がものすごく的を得ていて感動した。そう、個人間通信に代表されるおしゃべりみたいなものをSNSの広まりで突然公衆の面前にさらす人が登場したから炎上するんだよなあ。インターネットのせいでパブリックな社会と個人のつながりってどんどん垣根我なくなっていく中で、昔から言われてるITリテラシーというか、エチケットをどう育んでいくかって難しいんだろうな。適切に「怖い」と思うことも大事だけど、あんまり「怖い」と思わせても利益が得られないしねえ。


英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)(斎藤兆)
明治から昭和初期にかけてのいわゆる偉人たちの英語にまつわるエピソードをまとめた本。
新渡戸稲造や岡倉天心、白州次郎などなど、どうやって英語を勉強したのか、実際に英語を使う力はどのくらいだったのかというのをたくさんの文献にあたって紹介しているだけでなく、著者が教育や研究現場から得た知識や見解も盛り込まれていて興味深い。
この中ではっとさせられた文章があった。
僕自身(著者)が見聞したところから概論するに、英語を母語とする人間に「あなたは英語がうまい」と言われるのは英語習得の初歩の段階で、もう少し上達すると「あなたは私より綺麗な英語を話す」などというほめられ方をする。そして、発言や文法のミスを犯しながらも意思伝達に支障がなくなるにつれ、英語をほめられることが少なくなるようだ。
うわー。これすごくわかる気がする。わたし、ネイティブたちに結構ほめられるもん。で、もっと上手な人はほめられてるところを見たことないもん。まだまだ先は長い…ぐすん。


大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))(よしながふみ)
これまたやっと読んだベストセラー系。ニューヨークの図書館には漫画がおいてあるところも多くて(参考)、この本も図書館で発見したのである。英語だけど。
社会で男性の比率が少なくなったらという仮定をおいて、役割が変わるところと変わらないところ(生殖機能が中心かなー)を示すことで、平等ってなんだろうということを考えさせされる。あと江戸の描写も楽しい。
ところでこの本の英語、最初全然意味がわからなかった。英語なの!?と思う言葉がたくさんでてきたので自分の英語力にしょぼくれていたんだけど、ちゃんと古い英語に訳しているようである。thou(汝、今ならyou)とかthy(汝の所有書く、今ならyour)とか、知らなくてもいい表現だけど、知識として得られたことがちょっぴりうれしかった。まあ読むのにめっちゃ時間かかるけど。

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よく考えたらあと数冊読んでたけど、久々の文章で疲れたのでこの辺で。
ここ2週間くらい、あまちゃんずっと見てたり、本読みまくったり、充電期間だったのかもなーと思ったのだが、原因が思い当たった。




























暑さだ暑さ。熱帯夜なんて当たり前のこの天気。おうち最高だよなーとそこがニューヨークであろうとも引きこもりっぷりを発揮するわたしであった。

2013-07-09

モントリオールに癒された独立記念日

アメリカでは貴重な祝日、独立記念日を利用してカナダはモントリオールへ行ってきた。
「え!せっかくお祭りで花火見られるのに!?」といろんな人に言われたけど、どうしても5日にモントリオールに行きたかったのだ。


モントリオール国際ジャズフェスティバルーーー!!!
これは大学(UQAM、ケベック大学モントリオール校らしい。ユカムって発音してた)の建物に投影されたサイン。
数秒おきに絵が変わって、どれもこれもおしゃれ感満載である。

お目当ては、大好きなスコットランドのバンド、Belle and Sebastianでした。
撮影禁止だったのでライブの写真はないけど、こちら会場。またもやおしゃれ感満載。

さて、読者のみなさんを置き去りにするのはこの辺で終わりにしよう。
今回、ひいきのBelle and Sebastianは北米ツアーで、ライブ会場にはモントリオール以外にもオタワとかトロントとかのカナダの都市や、ビッツバーグやボストン、ニューヨークとかのアメリカの都市も含まれていた。
出遅れたのでニューヨークのチケットは売り切れ・・・・どうせだしお休み取ってライブ行くか!と思い、カナダに行くことにした。
そこで、カナダ人同僚に「カナダ行ったことないんだけど、オタワとトロント、ケベックとモントリオールだったらどこに行くべき?」と聞いたところ、
「オタワはワシントンDCみたいな政治都市、トロントはプチニューヨーク、ケベックもいいけど、モントリオールが超おすすめですー。いいんですよーーー」
と言われ、即決でモントリオールにしたのであった。

ということで、モントリオールの素晴らしさをしつこいくらいにお届けしたい。はい、本当にしつこいですよー。
フランスっぽい歴史的建造物。


絵になる街並み。きれい、ゴミがない、臭くない、落書き少ない。ちなみにこのレストランでご飯食べたけど、フォアグラやら、スープやらおいしかったーーーーー。


フランス語・・・・はあんまり見えないけど、色々書けちゃう黒板が置いてあったり。


町のあちらこちらで発見できる現代アート。これ、MacBookみたいなラップトップなんだけど、表面のリンゴは洋ナシになってて、画面にはジョブズが亡くなったというニュースが出ている。芸が細かい。


これまた近代的な建物。Palais des congrès de Montréal(リンク。写真がオサレ・・・・)という、コンベンションセンター的な存在である。


この建物の中。明るい光がさしてるとこんなかんじで超きれい。現代版ステンドグラスとでも呼ぼうか。

きれいで明るくて臭くない地下鉄!ちゃんと次の電車が来る時間も出ている。


整備された植物園にはなぜかハチ公が!時刻表だろうか、ちょっと違う気がするけど芸が細かい。


常設展は入館無料の美術館。(Musée des beaux-arts de Montréal)このときはガラスを使った作品で有名なChihulyさんの展示がやっていた。
どこかで見たことあるなーと思ったら、ラスベガスで見た作品の作者だった。(過去エントリー:『ラスベガスは巨大な大人のディズニーシー』


このChihulyさんの特別展の展示が屋外にも!!!いくら監視カメラがあるからって、大丈夫なんですか!とニューヨークから来た我々は心配になってしまう。


これまたなぜか屋外に置かれたピアノ。この隙がありまくりの状態が治安の良さを物語る・・・・というか、ここまで来ると自分の心が疑い深く、汚れてしまったんじゃないかと思い始めるほどである。
4歳からピアノを習っていたプライドをかけて、公衆の面前でネコふんじゃったを弾いた。



おいしいごはん。ちょっと上の女性が前に立っていたレストランのメイン。これはお豆とお肉を煮込んだフランス料理、カスレである。うぎゃあああ。おいしい。モントリオールで食べたものはなんでもおいしくて、夫と一緒に、野菜の味が濃い!素材がいいんだねえ、と褒めちぎる。


おいしいデザート。ミルクジェラートである。甘すぎない・・・・ふわふわ・・・・繊細・・・・!!

いい。非常にいい。
すっかり気に入って、「Montreal job」でぐぐる始末である。

モントリオールで一番感動したのは、街がとにかくきれいなこと。
建築物やいたるところにあるアート作品がおしゃれできれいな街を演出している、というのはヨーロッパ各地で見られると思うんだけど、ここまで町にゴミがなくて、においがない場所はなかなか見たことがない。ミュンヘンくらいかなー。
まるで、日本とヨーロッパのいいところを足してできたような場所である。おっとここまでいくとさすがにほめすぎか?と一瞬思ったけど、いや、そこまで言う価値がある。

人々はすごいゆったりしてて、赤信号渡らない人の方が多いし、コンビニっぽい24時間営業のお店の店員さんも、お金出し間違えても嫌な顔とかしない。施設のチケットカウンターの人は親切、公共施設はきれい、そしてなにより、何度も言おう、街が臭くない!!
ああ、ニューヨーク砂漠で疲れた心を癒す、モントリオールオアシス・・・・こんなオアシスが飛行機で1時間ちょっとで行けちゃうのは非常にうれしい。
オアシスのおかげで、ニューヨーク生活の慌ただしさとか、冷たい人とか、漂う悪臭が、無意識のうちにストレスを蓄積させているんだなーということに気づくことができた。

そういえば、昔この映画で、アメリカから国境を越えてカナダに入ると、家に鍵をかけてないとかそういう違いを描いていたなあ、ということを思い出した。同じ北米なのに、全然違うんだなあ。


そんなカナダののんびりさを実感して、同僚のカナダ人女子がなんで天然癒しキャラなのかちょっとわかった気がした。