「vacancy」
先日、外国人の友達から、日本の会社に履歴書を送りたいからこの英語を日本語にしてくれない?と頼まれた。
彼は日本語が結構できるんだけど、ビジネスの日本語まで行くとさすがに難しいようである。送られてきた英文を見て、ちょっと考えた。
I hope you find my profile interesting to be considerate for any vacancy.
vacancy。この単語、「日本で働くこと」に対する自分の考えがものすごく曖昧だったんだなあということを思い知らされる。
なんとなく進学との選択肢で就職を選び、なんとなく新卒一括採用をしている企業に入って、日々おかしいなーと思うことがあってもタスクをやっつけていくのはそれなりに楽しくて、人事異動を数回しながらなんとなく10年ほど働き続けている会社。その会社にvacancy(空き)がある、と思ったことはないのである。
毎年多くの人が定年退職して、多分同じくらいか少ないくらいの新卒の人が入ってくる会社。社内の人事異動は3年おきくらいにあり、人事異動のルールとなる社内の「人材育成計画」は、必ずしも悪いことばかりではないけど人事に関わる人が変わるたびにころころ変わる。
そういう会社の人事異動は、何百人というパズルをなんとなーく組み立てている感じである。そのパズルを組み立てるのはもちろん大変だろうけど、ピースははめる場所からちょっとはみでてたり、足りなかったりしてもそこまで問題ではなく、「誰が」「どこで」働いている、というのはそこまで重要じゃなくそうに見える。それよりも、とにかくピースを「若者を現場に」とか「この人は高学歴だから出世できるポジションへ」みたいなルール通りにはめる、ということに注力されている気がする。
だから「vacancy」という単語を見たとき、ピースである彼の能力をきちんと判断して、会社のリソースであるパズルのどこにはめるか、ということをきちんと考えてくれる会社だといいなあという気持ちが生まれたのである。
彼が応募しようとしていた会社のサイトを見たら、
・新卒予定者(国内大学)
・新卒予定者(海外大学)
・経験者採用
という3つの採用種別があった。彼のような大学院を卒業して母校で有期雇用のティーチングアシスタントとして働いてた人は経験者採用になるのだろうか、と思いリンクを開いてみたら、経験者採用は履歴書が手書き必須、と書いてあった。
手書きの必要性が全然わからないんだけど、日本の郷に従え、ということなのかな…
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「レイオフ」
vacancyについて考えさせられたほんの数日後、こちらの会社でいちばんよく話して気が合うと言っても過言ではない同僚から、普段とあまり変わらない声音で突然告げられた。
「7月末で終わりなんです」
聞いた瞬間、意味がよくわからなかった。最近その人が契約社員?派遣社員?ということに気づいたくらいだったので、思わず、「えっ、なんで?」と聞いてしまう。うーん、とちょっと考えたあと、ぽつりと言葉が発せられる。
「仕事に合わなかったみたいで、もういらないって言われてしまいました」
ああ、わたしのバカ。聞かなきゃよかった…
帰り道、一緒に歩いていた長いこと派遣社員をやっているという別の人が、「あの人の気持ちがすごくわかります」とため息をつく。
「レイオフされるって、やっぱり考えちゃうんですよね。自分の能力がもっとあったらよかったのか、とか」
レイオフ。昔、lay offは会社都合の解雇、fireは能力不足や勤務状況がよくない場合の解雇で、レイオフは悪いものじゃないんだよーという話を聞いたことがあるのだけど、やられた方はたとえ履歴書に傷がつかなくても精神的にダメージを受けるよねということを恥ずかしながら一連の会話で気づかされた。
これまでわたしは、前述の外国人の友達のように、有期雇用の仕事をすることもなく今の「終身雇用っぽく見える」会社に新卒で入ってしまっているから、自分がレイオフにあうかもしれないという可能性を考えたことがなかったし(辞めるシミュレーションはよくする)、契約が切れたあと次どうしようと考えて履歴書を送るみたいなこともやったことがない。
わたし、ネットでよく叩かれてる「既得権者」なんだなと思ってちょっと気持ちが重くなった。
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「貧困層はなんで貧困なの?」
…なんてことを、日本から来ている駐在員の同僚が突然言い出した。前述のレイオフについて聞かされる数時間前のこと。
「仕事なんていくらでもありそうじゃん。能力の問題なの?それとも性格が働くことに向いてないとかそういうことなの?」
「教育を受けられないから、いい仕事につけないとかなのかな」
無邪気な疑問に対して、別の駐在員の同僚が言う。ちなみに両方同年代の男性で、都会の中高一貫校を出て、一流大学に入って、うちの会社に入った人たちである。
アメリカ人の同僚は、「うーん…難しい」と言葉を失ってしまった。
わたしはこの辺の話にすごく興味があって、これまでに貧困に関する本はたくさん読んでいるのに、「例えば建設現場で働いてて、けがをしちゃって働けなくなるとか、何らかの疾患で働けなくなって貧困になってしまうっていうのはあるよね」というのが精一杯だった。
この会話に、仕事がしたくても大学院を出た経験を生かせる仕事にvacancyがない友達や、レイオフされてしまう同僚の話がちょっとかぶってきて、金曜日の夜から土曜日にかけて頭がパンクしそうだった。
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貧困や働き方に関しては、この辺の本がとても考えさせられたのでご紹介。決して読後感がいいわけではないけど、知りたい方、考えたい方へ。
先日、外国人の友達から、日本の会社に履歴書を送りたいからこの英語を日本語にしてくれない?と頼まれた。
彼は日本語が結構できるんだけど、ビジネスの日本語まで行くとさすがに難しいようである。送られてきた英文を見て、ちょっと考えた。
I hope you find my profile interesting to be considerate for any vacancy.
vacancy。この単語、「日本で働くこと」に対する自分の考えがものすごく曖昧だったんだなあということを思い知らされる。
なんとなく進学との選択肢で就職を選び、なんとなく新卒一括採用をしている企業に入って、日々おかしいなーと思うことがあってもタスクをやっつけていくのはそれなりに楽しくて、人事異動を数回しながらなんとなく10年ほど働き続けている会社。その会社にvacancy(空き)がある、と思ったことはないのである。
毎年多くの人が定年退職して、多分同じくらいか少ないくらいの新卒の人が入ってくる会社。社内の人事異動は3年おきくらいにあり、人事異動のルールとなる社内の「人材育成計画」は、必ずしも悪いことばかりではないけど人事に関わる人が変わるたびにころころ変わる。
そういう会社の人事異動は、何百人というパズルをなんとなーく組み立てている感じである。そのパズルを組み立てるのはもちろん大変だろうけど、ピースははめる場所からちょっとはみでてたり、足りなかったりしてもそこまで問題ではなく、「誰が」「どこで」働いている、というのはそこまで重要じゃなくそうに見える。それよりも、とにかくピースを「若者を現場に」とか「この人は高学歴だから出世できるポジションへ」みたいなルール通りにはめる、ということに注力されている気がする。
だから「vacancy」という単語を見たとき、ピースである彼の能力をきちんと判断して、会社のリソースであるパズルのどこにはめるか、ということをきちんと考えてくれる会社だといいなあという気持ちが生まれたのである。
彼が応募しようとしていた会社のサイトを見たら、
・新卒予定者(国内大学)
・新卒予定者(海外大学)
・経験者採用
という3つの採用種別があった。彼のような大学院を卒業して母校で有期雇用のティーチングアシスタントとして働いてた人は経験者採用になるのだろうか、と思いリンクを開いてみたら、経験者採用は履歴書が手書き必須、と書いてあった。
手書きの必要性が全然わからないんだけど、日本の郷に従え、ということなのかな…
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「レイオフ」
vacancyについて考えさせられたほんの数日後、こちらの会社でいちばんよく話して気が合うと言っても過言ではない同僚から、普段とあまり変わらない声音で突然告げられた。
「7月末で終わりなんです」
聞いた瞬間、意味がよくわからなかった。最近その人が契約社員?派遣社員?ということに気づいたくらいだったので、思わず、「えっ、なんで?」と聞いてしまう。うーん、とちょっと考えたあと、ぽつりと言葉が発せられる。
「仕事に合わなかったみたいで、もういらないって言われてしまいました」
ああ、わたしのバカ。聞かなきゃよかった…
帰り道、一緒に歩いていた長いこと派遣社員をやっているという別の人が、「あの人の気持ちがすごくわかります」とため息をつく。
「レイオフされるって、やっぱり考えちゃうんですよね。自分の能力がもっとあったらよかったのか、とか」
レイオフ。昔、lay offは会社都合の解雇、fireは能力不足や勤務状況がよくない場合の解雇で、レイオフは悪いものじゃないんだよーという話を聞いたことがあるのだけど、やられた方はたとえ履歴書に傷がつかなくても精神的にダメージを受けるよねということを恥ずかしながら一連の会話で気づかされた。
これまでわたしは、前述の外国人の友達のように、有期雇用の仕事をすることもなく今の「終身雇用っぽく見える」会社に新卒で入ってしまっているから、自分がレイオフにあうかもしれないという可能性を考えたことがなかったし(辞めるシミュレーションはよくする)、契約が切れたあと次どうしようと考えて履歴書を送るみたいなこともやったことがない。
わたし、ネットでよく叩かれてる「既得権者」なんだなと思ってちょっと気持ちが重くなった。
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…なんてことを、日本から来ている駐在員の同僚が突然言い出した。前述のレイオフについて聞かされる数時間前のこと。
「仕事なんていくらでもありそうじゃん。能力の問題なの?それとも性格が働くことに向いてないとかそういうことなの?」
「教育を受けられないから、いい仕事につけないとかなのかな」
無邪気な疑問に対して、別の駐在員の同僚が言う。ちなみに両方同年代の男性で、都会の中高一貫校を出て、一流大学に入って、うちの会社に入った人たちである。
アメリカ人の同僚は、「うーん…難しい」と言葉を失ってしまった。
わたしはこの辺の話にすごく興味があって、これまでに貧困に関する本はたくさん読んでいるのに、「例えば建設現場で働いてて、けがをしちゃって働けなくなるとか、何らかの疾患で働けなくなって貧困になってしまうっていうのはあるよね」というのが精一杯だった。
この会話に、仕事がしたくても大学院を出た経験を生かせる仕事にvacancyがない友達や、レイオフされてしまう同僚の話がちょっとかぶってきて、金曜日の夜から土曜日にかけて頭がパンクしそうだった。
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貧困や働き方に関しては、この辺の本がとても考えさせられたのでご紹介。決して読後感がいいわけではないけど、知りたい方、考えたい方へ。
貧困の光景 (新潮文庫)(曽野綾子)
生き生きとしたアフリカの情景と貧困のコントラスト、著者の苦悩がひしひしと伝わってくる。
子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)(阿部彩)
これは日本の話。日本では6人に1人の子供が「貧困」だという事実はショック。
以下のNHKの番組で話していることがこの本の中に事例と一緒に書かれているかんじである。
視点・論点「子どもの貧困 日本の現状は」(NHK)
貧困とされる家庭の生活の様子を読むと、暗い気持ちになって、自分にできることはないかなと考え込むこと間違いなし。
なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望 (山田昌弘)
「顧客の便利は労働者の不便」というところは「経営者の便利は労働者の不便」にも言い換えられるんじゃないかなー。山田さんの本はほんとに毎回考えさせられる。理論だけでなく、若者の視点に立った考察がうれしいし、どの著作もどこかに希望を感じられる。
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先日読んだこの本に、現代は昔よりもいろいろな情報が手に入りやすいので、Y世代(ミレニアル世代)以降の人たちは様々なことを身近に感じられるようになってきている、ということが書いてあって共感した。
ワーク・シフト (孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>)(リンダ・グラットン)
もし本当にそうなのだとしたら、週末に考え込むことは未来のためにそこまで無駄でもないのかもなと感じた。
…そう感じないとちょっといてもたってもいられない気持ちだった、ともいえる。