2013-12-14

食欲とホームシックは自炊の母

ニューヨークに来てからというもの、「日本にいたときは作らなかったなあ」というものを作るようになった。

これは今日作った肉まん。包み方がまだまだである。

生麩。味噌田楽で食べた。練って洗ってグルテンを取り出して、という手順が超大変だった…


アップルパイ。日本にいたときも作っていたけど、パイシート使わずにパイ生地から作るのは初めてだったりする。

エビチリ。さすがに中華料理屋さんで食べれるじゃん!というつっこみが聞こえてくる。

この他にもマフィンやクッキー、スコーンあたりを日常的に作っている。日本にいたときもたまに作っていたけれど、明らかに頻度は上がっている。

ニューヨークに長く住んでいる人ほど、
「ニューヨーク(マンハッタン)は外食産業が発達してるから、家で料理しなくていいよねー。おいしいお店もたくさんあるし、むしろ材料買って作る方が大変だし、高くつく」
というようなことを主張する。

確かに道を歩けばたいていデリがあるし、デリじゃなくてもファーストフードやらスープ、サラダ等々チェーンのお店も軒を連ねている。外食も各国料理が勢揃いだ。金額についてはきちんと計算したことがないけれど、自炊だったらものすごくお得かというと、微妙なところかもしれない。

ふとした瞬間に、ふとした物が食べたくなるのは多分日本に住んでいても、海外に住んでいても一緒だろう。
例えば寒くなってきたので、肉まんが食べたくなる。日本だったら、100円持ってコンビニへ行けば解決である。コンビニじゃなくても、スーパーではたいてい冷凍のものが置いてあるし、運がよければ中華フェアーとかでおいしい肉まんが手に入る。
もしわたしがハンバーガーを定期的に食べたくなるような趣味だったら、ニューヨークでも事足りる。でも、肉まんとか生麩とか、甘過ぎないアップルパイとか、郷土料理とか、徒歩10分以内の距離で手に入らないものが運悪く食べたくなってしまったら、その欲求を満たすためにはもう作るしかないのである。食べたいものが食べたいときに食べられないことは、わたしを突き動かすものすごい力を持っているのだ。

こういうことに慣れ始めると、たいていのものは作れるのかも?という気がしてきて、これまで作ったことがないものにチャレンジするのが楽しくなってくる。それで、エビチリとかも作るようになるのである。おうちご飯は楽だし。

失敗しないのかというと、全然そんなことはなくて、何度かチャレンジしたけど違うなあと思ったのがこちら。


なんだと思います?これ。

今川焼なんですよ…
巨大だしなんかちがう…

このときはカスタードクリーム入りの今川焼が食べたくて仕方なかったのである。しかし、皮がなんとなくホットケーキっぽくなってしまうし、うまくサンドできないしで失敗を繰り返している。
うーん、小麦粉の種類の問題なのかなあ…未だ試行錯誤中である。

ところで前述の通りニューヨークでは色々な国の食べ物が食べられる。
カンボジアサンドイッチ(ここ)とか、ギリシャ料理のムサカとか、中東料理のハマスとか、ニューヨークに来てから大好物になった。
これらを日本に帰ったあと食べたくなったらわたしどうするんだろう…と考えると、
「あの人を知らなければこんな気持ちになることもなかったのに…」
という、高校生の恋愛にも似た感情がわき上がって、ちょっとセンチメンタルな気持ちになる。
食いしん坊はつらいよ。

今日のニューヨークは一日吹雪だった。
これは昼間の写真。まだ降り続いているので、明日の朝には積もっていそうだなあ。


(2013/12/17 追記)
ちょうど、最近読んだ本が「食べたいものが食べたい!!」という強い衝動について、豊富なエピソードをもとに楽しく描いていたのでご紹介。



作者の食いしん坊ぶりが伝わってくる、食べ物への並々ならぬ愛が詰まった本と言える。思い出しただけでお腹空いてきた…
この中に出てくる「ヤギのお乳」についてはまったく同感。なんでハイジだとあんなにおいしそうに飲んでるんだろうなあ。

2013-12-01

隣国なのに全然違う国、カナダ

お休みを利用して、世界で最も住みやすい町ランキングで何度も上位を獲得しているカナダのバンクーバーへ行ってきた。
ニューヨークのサンクスギビングのパレードはホテルのテレビで見た。そういえば独立記念日もカナダにいたし、ニューヨーク在住なのにニューヨークのイベントをあまり楽しんでいないわたしである。いるかわからないけど、来年に期待。(参考記事:『モントリオールに癒された独立記念日』)

バンクーバーでは、現地にお住まいの主夫のおがしんさん(ブログ)がガイド兼運転手として、観光地からおいしいレストラン、現地のスーパーまでいろいろ案内してくださった。本当にありがとうございます!

スタンレーパークからの眺めをパノラマ写真でお送り。
自然がいっぱいなのに、ダウンタウンは都会で、おしゃれなお店も多い。
日本に住んでいるバンクーバー出身の友人が「横浜に近いかなあ」と言っていたのがちょっとわかる。ダウンタウンのマンション群はみなとみらいやお台場みたいな感じ。ちょっと郊外に行くと横浜市営地下鉄が走っていそうな高級住宅街。山がすぐ近くに見えるのは、横浜のはじっこの方に似ているかもしれない。
でも、自然の豊かさは横浜の比ではない。寒くないなあ、というのがバンクーバーに降り立った第一印象で、冬期オリンピックはいったいどこでやったんだろう?という疑問が生じたのだけど、スノーボーダーにその名を轟かせるウィスラーもあれば、バスで1時間かからない場所にもスキー場がある、というそこだけ見たら札幌か長野かみたいな環境も兼ね備えているのである。

冬のキツラノビーチ。流木ちっくなベンチが風景にマッチしていてすてき。
寒空風に見えるが、気温は10度近くあって過ごしやすい。

ブリティッシュコロンビア大学(UBC)。キャンパスが超広大。

UBCグッズ。キティーちゃんとどーもくんがある…
 

Go Fish Ocean Emporiumという海沿い?湾沿い?のお店で食べたオイスターバーガー。
牡蠣がふっくらほどよく火が通されていて超おいしい。

こちらはGranville Island Tea Companyというお店で、横浜の赤レンガ倉庫をもっとひろくした感じのグランビルアイランドというお店やギャラリーが並ぶの中にあるお店。
バンクーバー出身の子が「ここのマサラチャイが飲みたい。おすすめ!隠しメニューでショウガも入れてもらえます」と言っていたので試してみた。冬にぴったりのスパイシーなチャイ、おいしい。

おしゃれデパートのディスプレイ。こんな格好でスキーしちゃだめ!!寒いよ!!というつっこみをしてしまった。

在住の方いわく、バンクーバーにはこんな特徴があるそうだ。
  1. サービスが悪い
  2. 物価が高い
  3. 品揃えがしょぼい
サービスについては、ニューヨーク砂漠から行っているからか全然気にならなかった。
むしろ、人がせかせかしてない分心地よさを感じる。
空港で余ったカナダドルをUSドルに替えようとしたときに、カウンターのお姉さんが、「小銭もある?USドルの小銭が混ざっても大丈夫。一番いい方法で両替します」
と申し出てくれたのには感動した。
ふらりと入った客単価10ドル以下と見られるベトナム料理屋さんの店員さんもそんなに感じが悪い風でもないし、中華料理屋さんもお茶をテーブルにこぼして拭く、みたいなことしないしさー…って、これは自分の期待値の低さを再確認せざるを得ない。

物価は確かに高い、というかマンハッタンと比べても遜色ないし、その上を行くものもある。ビールの値段はだいたい倍くらいである。
さらにものによっては税金が12%かかる。信者の夫曰く、アップル製品の価格はアメリカよりも高かったそうで、それに税金12%が乗ってくることを考えるとちょっと購買意欲を失うかもしれない。ちなみにその代わり、医療費は無料で、典型的な大きな政府である。

品揃えのしょぼさは、Amazonで検索するとよくわかるそうだ。在住者の方がアメリカとカナダのAmazonで商品を検索したら、数百vs一桁くらいのレベルで表示されるアイテムの数に差が出たとのことである。
物価の高さと品揃えのしょぼさのせいで、カナダからアメリカへ買い出しに行く人が後を絶たないらしいが、免税範囲が雀の涙な上に、税関のチェックが厳しい。24時間滞在しないとお酒類は買っちゃだめ、免税範囲も200カナダドル、怪しい人は容赦なく税関でチェック…ということでアメリカから行ったわたしたちもなぜか税関検査にひっかかったのであった。
去年の記事だけど、こんなニュースも見つけた。


拡大されても200ドルって、そんなに買えないよね…

しかし、毎日ニューヨークで買い物を迫る勢いの広告の海にもまれていたわたしは、逆に広告を見ても「あいつらのお金を使わせる圧力に負けず、本当にほしいものだけを買おう!」という信念めいたものを持つようになった。ほしいものがないのはちょっと困るけど、そもそも日本みたいなかゆいところに手が届く便利グッズがお手頃価格で売っている場所ってきっとそんなにないだろうし、衣食住が立ち行かなくなるみたいな必需品はそこまでないだろう。電化製品は高くてちょっと悔しい思いをするけれど、買えないことはないだろう。
エアカナダの飛行機の中では新聞を配っているし、機内テレビもWi-Fiも無料。機内食はさすがに出なかったけど、航空券が安いわけでもないのになんでも有料にするアメリカの航空会社とは姿勢が違う。

ともあれ、アメリカ、というかニューヨークほどお金儲けに対する前のめりな姿勢を感じないのがカナダである。隣のアメリカよりも、ヨーロッパのどこかの国や日本の方が雰囲気が近い。田舎ということなのだろうか。
そんな雰囲気が居心地がいいなーと感じるあたり、やっぱりわたしには市場原理主義万歳、ものは消費してなんぼ、女性はみんなフルメイクでタイトな服装をしている「意識の高い夢追い人の街」、ニューヨークが合ってないのかもしれない…という気持ちがわき上がった。

以前も書いたけれど(過去記事:『「欧米」というくくりに物申す』)、東京とニューヨークは似ている。さらに政府は景気を上げるために色々な施策をやろうとしているけれど、これで超市場原理主義に傾かれたら、活気はあるだろうけど、「おもてなし」どころじゃない、地獄の沙汰も金次第的なぎすぎすした街になりそうだなあと思っている。
もちろん、経済的に成長しなきゃいけないというのはなんとなくわかるんだけど、人口も減るし、別の軸での発展を考えてもいいんじゃないかなあ。バランスをとることは難しいだろうし、環境の変化があって一定に保つこともできないだろうから、経済成長側に寄ったり、社会保障側に触れたり、というゆらぎを繰り返しながら一番いい形を目指していくのだろう。(と思いたい)

バンクーバー、ひいてはカナダを一言で表すと、「都会もたまにあるけど基本的にのんびりした田舎」である。この場所がいいなあ、と思うのは日本での田舎暮らしに憧れる気持ちに似ている。
刺激が欲しい!という人には多分あまり向いていない場所だけど、ゆったりと人生を楽しみたいという人にはかなりおすすめの場所だなあと思った。
…いいなあ、住みたい。

2013-11-17

終身雇用を捨てるのは企業か?個人か?

「よく、ひとつの会社で長く働けるよねー」
先日、独立して仕事をしている人たちばかりの集まりの中で、何気なくそんな発言が出た。
…わたし、ひとつの会社で長く働いてるなあ。
その場では何も言えなかったけど、「いやなことを我慢して働き続けるのは無理だよねー」みたいな話題の中で出たその言葉は胸に突き刺さって、しばしばわたしにぼーっと考える時間を作らせた。

そんな中、先日、友人に紹介されたこの記事がおもしろかった。

リンクトイン創業者が語る新たな雇用形態 終身雇用を捨てよう(ハーバードビジネスレビュー)

ひと記事800円か…と少し躊躇しながらも、その友人のおすすめは信頼度抜群だし、冒頭の言葉で「ひとつの会社で長く働くこと」について考えていたし、1冊まるまる2000円で買うよりいいかと思い購入。ちなみに英語でもあんまり値段が変わらなかったので日本語で買った。

 
雑誌だったら、こちらの号に載っている。


なかなか興味深かったので、この記事の中で挙げられている、LinkedInの創業者の方が出した本もKindleで読んでみた。

 
スタートアップ!(リード・ホフマン、ベン・カスノーカ)

どちらも言っていることは「昔は終身雇用が当たり前だったけど、今はグローバリゼーションと情報化のせいで終身雇用とか絶対無理だよね。さあどうする?」ということである。
わたしも含めて、周囲のいわゆる日本の大きな組織、企業で働いている人たちの中には、「この先本当に終身雇用は保証されるのだろうか?自分はどうなるんだろう?」という不安を感じている人が一定数いる気がする。まったく考えていない人もいるが。
前述のグローバリゼーションと情報化のほかにも、日本の場合は年功序列社会の中で、人口・就労者ピラミッドがいびつになっている。上の世代がいっぱいいるので、ちょっとやそっとでは出世できない。お給料は上がらないし、今後利益がうなぎ上りするとも思えない。希望する人の65歳までの雇用が義務化されたし、税金や保険料率は毎年上がって手取りは減るし、年金も不安だし、ますます大企業で働く若者の未来は閉塞感に満ちている。

こういう不安や閉塞感に直面したわたしの周りの大企業で働く人たちは、こんな行動に出ている。括弧内はだいたいの割合である。計算したわけではないけど、雰囲気的にはこんな感じ。

  • 転職とか退職っていう選択肢はない。不安を抱えながら与えられた環境で引き続きがんばる(60%)
  • 未来はわからないけど、転職とか退職の予定はなく、不満を仲間と共有しつつ、趣味や自分の生活に精を出すことに喜びを見いだす(30%)
  • 転職(5%)
  • 起業・独立(5%)

上ふたつは自分へのあきらめだったり、「どうしようどうしよう」と逡巡している状態である。
それに引き換え、これまたわたしの周りの例だけど、新卒時点でスタートアップ的なところで働いていた人たちは、転職、起業をばんばんしている。「やばいけど、今やめるのはなあ…とりあえずここにいよう」というようなためらいを感じさせない。
なぜ大企業をやめるのに躊躇するのか?というのは、以下の3つに集約すると思う。

  1. お給料がそこそこいい
  2. 起業・独立のネタがない
  3. 環境を変えることが怖い

まず、ひとつめにはお給料の問題がある。日本の大企業をやめて他社へ転職したり、企業したりしても、お給料が上がることの方が珍しいし、福利厚生も含めて考えたら損をすることの方が多そうなのである。なので、不満はあるけど、とりあえずこのままでいようか…という感じになる。
それに引き換え、スタートアップで働いていた人たちは、そもそもお給料にそこまで頓着していなかったりする。

ふたつめの問題は、起業・独立するにも、「ネタ」がない、ということだ。大企業はその会社のシステムとかルールとかにはまった形の仕事をさせられるので、自分が何をできるのかっていうことに気づけない例も多いし、MS Officeくらいしか世の中で通用するスキルがありません!みたいなことになりかねない。10年働いてこれって、本当に笑えない。…だけどわたしも多分そうである。
翻って、スタートアップで働いていた人やフリーランスの人たちは本当に「手に職」を持っているなあ、と見ていて感じる。わたしの周りならプログラミングだったり、IT系の分野に関するシステム構築、コンサルティングというスキルを持っていて、転職したり起業したりしている人が多いのだ。

最後に、わたしも含めて大企業で働いている人の大半は、積極的に環境を変えようとしない。基本的に収入が途絶えるという心配をしなくていいと思っているので、長期的な計画を立てがちである。例えば小さなものでは半年以上先の年末やゴールデンウィークの旅行とか、大きなものでは35年の住宅ローンとかで、こんなものを抱えていたら腰を据えて転職活動とか、どのくらい収入が途絶えるかわからない状況で起業なんてやろうと思わないだろう。
スタートアップで働いている人たちは、「手に職」があるし、自分が働いていたスタートアップがどうやって顧客を集めたり、サービスを売ったりしているか知っている。だから、もちろん決意みたいなものはあるだろうけど、「なんとかなるでしょ」という気持ちで自分の環境を変えて、新しい仕事に挑戦している。ちなみに35年ローンを抱えている人は見たことがない。

大企業で働いている人の大半は、会社が倒れたときに路頭に迷うだろう。運がよければ関連企業に雇ってもらえるかもしれないけど、その企業もいつまでもつかわからない。
自分も例外ではないので、書いていて暗い気持ちになってきた。前述の『スタートアップ!』では自分のキャリアをスタートアップ企業のように発展させていくことはどうかと述べて、「スタートアップ的な生き方に必要なもの」として以下を提案している。これが大企業で働く人こそちゃんと考えるべきだなと考えさせるものなのである。
  • 自分の資産、大志、市場環境の3つを組み合わせて競争上の強みを身につける
  • ABZプラニングの手法を使って、自分の強みを活かすための最優先プラン(プランA)をつくり、まわりからの意見や教訓をもとに何度も改良しながら練り上げていく
  • 実を伴った末永い人間関係を培い、それを土台にして協力なプロフェッショナル・ネットワークを築く
  • 人脈を大切にし、機転を利かせ、活動を絶やさずにいることによって、機会を見つけたり、生み出したりする
  • 仕事上の機会を追求しながら、正確に状況を見極め、賢くリスクをとる
  • よりよい機会を探し、キャリアについてこれまで以上に優れた判断を下すために、情報網から知恵を引き出す
こうして書いてみるとちょっと引いちゃうような強いメッセージだけど、この本はひとつひとつが興味深いさまざまな起業家のエピソードに触れているところが単純に読み物として面白い。
また、「人脈とか聞くと、気持ち悪いよねー。でも一生懸命名刺を配ることが人脈作りじゃないし」というような心理的ハードルを取り除く言葉のあと、具体的にどういうことをするといいよ、という提案があるのでやってみようという気持ちになれる。とりあえずわたしは周囲の起業した友達にいろいろ話を聞いてみようと思ったのであった。

以上、長々と書いたけど、冒頭の「よく、ひとつの会社で長く働けるよねー」という問いに対して、実際に働いている立場として答えるとすると、
「自分が我慢強いとか思ったことはないし、むしろ多分組織とかあまり向いていない。もちろんこの状態がいつまで続くのだろうという不安はあるけれど、それでもこの仕事を続けているのはひとえに、独立して食べられる程度の収入を得られる仕事をする自信がないから」
なのである。
ものすごく消極的な理由である。

需要と供給のバランスで、こういう自信のない人があふれる大企業は、いくらでもお給料を下げられそうだ。お給料以外にも、待遇とか、仕事内容とか、働く立場としては我慢することも増えそうだ。そうだとしても、終身雇用が崩れて収入が途絶える心配も、本当にしなくていいのだろうか?という疑問が沸く。
「どんなに我慢しても、生きていけるくらいのお給料がもらえる可能性が高い仕事」か、「一度しかない人生だから、仕事であろうとも極度にやりたくないことはやらない」のか、今後も考え続けることになるだろう。
とりあえず、今の状況でいろんなことに挑戦しておくことが大切なのかなあと感じている。あと、35年ローンは絶対組まないでおこうと心に誓った。

2013-11-16

アメリカで和製英語を使う人から学んだこと

わたしは空気が読めない方だと思う。
何をするにも「なんで?」と感じてしまって、それが例えば「礼儀」や「伝統」と呼ばれるものであっても、自分が納得できないことは受け入れたくない。
例えば、以前にも書いたけれど、結婚式をやる理由や、結婚したら名字をどちらかに合わせる必要性は未だに理解できなくて、いろいろあがいている。(過去記事:『結婚式をやらない理由を書き残す』『ゆるやかな夫婦別姓に大賛成!』)

いい年して世間の文化に対立するような、痛々しい生き方を地でいくKY(死語)なわたしであるが、英語を使うにあたってはものすごいプレッシャーを感じているんだなあということに気づいた。
そんな風に考えさせるきっかけをくれたのは、どちらもかなり年上のふたりの日本人の方の行動だった。

ひとりの方はある日本企業のトップレベルの人。アメリカの別の企業のトップレベルの人と英語で話しているとき、白黒のことを「モノクロ」と言っているのを聞いた。
も、モノクロって和製英語だよね…!?英語だとmonochromeだよね…!?!?
案の定、言われた方ははてな?という顔をしている。話している日本人の方はそれに気づいているのか、気づいていないのか、とにかく自分の言いたいことをうわーーーっと言っている。
ああ、モノクロってもう3回くらい言ってる…と横で聞いているわたしはひやひやする。しかし、口を挟んでいいものかどうか。空気が読めない社会人代表のわたし、その昔、上司の誤りを大勢の前で直すという失態を犯してしまい、5年以上経った今でも仲間内では語りぐさになっているのである。ちなみに上司はそういうことを気にしない人なので笑っていたし、「そんなに失態かー?」と思っているあたりにわたしの病の深さがある。
話を戻そう。モノクロ何回目だろう…というときに、昔の漫画なら電球がついただろうなあと思うくらいに、聞いていた方がはっとした顔をした。
「Oh, black and white! Yes, yes!!
通じた!!思わずほっと胸を撫で下ろすわたし。でも話している方は相変わらずモノクロと言い続けている。…まあいいや。
この日本企業トップの方は、とにかく自分の言いたいことを言う。会話の中で、「今の質問そんなこと聞いてたっけ!?」と思うような回答になってない返しもある。でもとにかく「伝える!」という気持ちが強いのである。

もうひとりの方はアメリカに長いこと住んでいて、フリーランスで仕事をされている方。
仕事で知り合った初対面の人に対して、英語のアクセントから判断して、「Are you British?」と聞いている。
国籍っていきなり聞いちゃいけない、っていうどこかで聞きかじった知識が頭の中で警鐘をならす。答えたくない人もいるし、そもそも歴史の中で云々とかよく言いませんっけ!!
そんなわたしの不安を知るわけもなく、聞かれた方は、「そう、ロンドンに住んでる」と答えた。わたしの考え過ぎだったのだろうか。
しかしここで会話は終わらず、その方は「ロンドンって紳士の町だよねー」とか言ってる。えええーー、そのステレオタイプここで出すか!日本は侍の国って言ってるのと同じじゃない!?
さすがにイギリスの方も「いやーそれはだいぶ昔の話だけどね」と苦笑。
相手がどう思っているかはわからないけど、とりあえず会話が終わったときにはちょっと胸を撫で下ろした。

このふたりの方に共通する点。それは
  1. アメリカに住んで10年以上と長い
  2. 40代〜50代
  3. 日本語なまりの英語を躊躇なく話す
という3つである。
日本語なまりの英語というのはだいたいみんなそうだろ!とつっこまれるところかもしれないけれど、彼らが喋る言葉は「和製英語は英語じゃない」とか、「異文化交流でそういうことを言っちゃいけない」とか、「発音をちょっとでも英語っぽくしなきゃいけない」みたいなルールや気負いに縛られていないように感じた。
このルールや気負いはどこから来ているのだろう?と考えると、わたしはいろいろなところから情報を仕入れて、頭でっかちになってしまっているのかもしれないなあ、というところに思い当たった。

本当に、日本には「英語」に関する情報が山ほどあるし、本も基礎的なものからものすごくニッチなものまで、あらゆる分野であふれんばかりに出版されている。Twitterを開いたら英語ご意見番みたいな人もいて、「こんなこと言うやつはおかしい」みたいな持論を展開しているし、日本人の前で英語を使うのって間違いを指摘されたり、笑われたりするんじゃないかと思ってちょっと緊張する。
空気読めないくせに、こういう環境のプレッシャーを感じたわたしは、英語を使うのが怖くなってしまっているんじゃないかなあと思ったのである。使わなきゃ上手にならないのに。
ちなみに他の外国語だと、ここまでプレッシャーがない。まず情報が少ないし、本だって英語に比べたらほんのわずかで選択肢はあまりない。ちょっとできたら「すごい!」って言われるし、間違いをねちねちと指摘する人はあんまりいない。だから使ってみようという気にもなるし、どんどん上手になる。この違いはやっぱり英語が義務教育に組み込まれていて、日本人にとってちょっと別格で、重要な地位にあるからなのだと思う。

以前、外国語を喋るということは、「fluency(流暢さ)」と「accuracy(正確さ)」とのバランスだ、と聞いたことがある。流暢に喋ることと正確さは最初のうちはなかなか両立させられないということだ。某語学スクールのページにも同じようなことが書いてあった。


わたしは正確さの方にとにかく気が向いてしまっていて、流暢に喋るどころか、口数が少なくなってしまっているんじゃないだろうか。
前述の日本企業の方は、こちらで生まれ育ったバイリンガルの娘さんに「お父さんの英語、恥ずかしいから話さないで」と辛辣な言葉を浴びせられるらしい。そんな評価をされようとも、まずはとにかく喋ってコミュニケーションをとろうとするのはすばらしい姿勢だと言える。そこから始まる相互理解や、得られる知識の可能性は大きいからだ。

英語に限らず、しばらくは考えすぎずに行動してみようかなあ。
こんな思考から始まって、まわりの人のやる気や可能性をそがないような人間になっていきたいなあ、というところまで考えは及ぶのであった。

2013-11-10

MacBook Pro買っちゃいました

これまで使っていたパソコンが目に見えて調子が悪い。
半年ほど前に、調子が悪いなーと思って、もともとVista(!)のPCにWindows8を入れ直したのがとどめをさしたのか、ソフトが立ち上がるのにめちゃくちゃ時間がかかるし、立ち上がった後の動作も遅い。
基本的に文章書くくらいしか使ってないのだけど、ここのところPCの画面をじっと見ていると目が痛くなるし、よく考えたらこのPCは4年以上前に買ったものだし、そろそろ買い替え時だろうか…
そんなときに、新しいMacBook Proが発表された。

か、買ってしまった…

13インチのRetinaモデルである。構成は最小構成。Airとめちゃくちゃ悩んだんだけど、Airは増設できないよー、長く使うならMBPの方がいいよーーーとささやかれ、MOTTAINAI精神がうずいてですね。


今回はグランドセントラルのアップルストアで購入。実は前日に5Aveのお店に下見に行っていたけど、グランドセントラルの方が空いてて見やすいことが多い気がする。商品を買う人の長蛇の列ができていたけど、あまり待たされずに買うことができた。とりあえず記念撮影。

箱が小さい。取っ手がついた箱を想像してたのでびっくり。
なかなか箱が開かなかったので、夫に開けてーと言ったら、ビニールのラッピングを剥いだところで押し戻され、
「ここからは自分で開封しなさい…アップルストアでも、箱を開けるのはお客さんにやらせてるんだよ…」
とアップル信者らしい発言をされた。

ばーん。ありがたいりんごマークが見えます。

ぼーーーーん。(起動音) ご利益がありそうな音です。

Macは学生時代、研究室に置いてあったのをたまに触っていた以来なんだけど、10年の歳月はこんなにも製品を変えるものなのですね…とちょっと感動している。あのMacは全然かっこよくなかったしなー。
まず、立ち上がるのはSSDのおかげかめちゃくちゃ速い。
そして、キーボードがめちゃくちゃ打ちやすい。手を置くスペースが広いのもいいし、トラックパッドは直感的に使える。未だにクリックを「べこっ」と押し込んでしまうのが悩み。クリックは触れるだけでいいのよ、自分。
画面は当然めちゃくちゃきれい。Retinaさんは文字をたくさん見るわたしにはぴったり。ネットサーフィンはかどりまくり。
…こ、これはWindowsマシンに戻れないかもしれない…(※使い始めて2時間程度です)

Macほぼ初心者のわたしが教えてもらったショートカットキー類もメモっておきたい。(ちなみにUSキーボードなので、他のキーボードの人は違うかも…)

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  • 日本語入力への切り替え:shift+control+j (cmd+spaceでもOK)
  • 英語入力への切り替え:shift+control+;
  • 中点の入力:option+/
  • F10で半角英数、F7でカタカナ、とかの設定は「ことえり環境設定」から「キーボード」→「F1、F2などのすべてのキーを標準のファンクションキーとして使用」にチェック。
  • スクリーンショット(画面全体):cmd+shift+3
  • スクリーンショット(指定部分):cmd+shift+4

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そのほか、便利な技を教えてもらったら適宜追加していこうと思う。

今のご時世はオンラインストレージやクラウドサービスのおかげで、PCの買い替えのストレスが本当に軽減されているなあというのも20年近くPCに触っているわたしとしては感動ポイントだった。起動して10分でいつもと同じことができちゃうんだもんなー。すごい世の中になったもんだよなー。
…さすがにちょっとおばちゃんくさいな、この言い方。

今日のブログは、いつにも増して中身がないが、わたしとしては絶対に記録を残す必要があるのだった。
というのも、これまで買ったiPod mini(懐かしい)とiPodは、見事に1年と1週間くらいで壊れているのである。
それにも関わらず、今回もばっちりアップルケアの保証をケチったので、1年保証!!!
今日のブログの日付と定期的ににらめっこして、Macの調子を診断しつつ、1年保証が切れる前にジーニアスバーに駆け込もうと思う。

…そんなことが起きないことを本当に祈っている。

2013-11-05

ニューヨークマラソン2013…観戦!

天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、読書の秋、そして、スポーツの秋。
先日、11月3日はニューヨークマラソンの日だった。
もちろん「iPadKindleだけが友達さー♪」なもやしっ子のわたしは走るはずもない。今日もおやつがおいしい。

この日のために日本からサラリーマンアスリートの友人(30代女性)が我が家に泊まりに来た。
サラリーマンアスリートの友人、実は去年、2012年にニューヨークマラソンに出場できる予定だったのだが、ハリケーンサンディーのせいで暗いホテルの中に1週間缶詰になって帰ったというすべらない話…というか散々な経験の持ち主である。
今年は去年走られなかった人を優先したそうで、念願かなって出場となった。

ゼッケンと一緒にもらったというニューヨークマラソンの冊子には、各国の大都市のマラソンの広告が出ていて、お国柄というか、各都市のキャラクターが表れていておもしろい。

これはロンドンマラソンの広告。ロンドンアイが後ろに見える。
真ん中のお姉さんはいい笑顔だけど、その後ろのおじさん…仏頂面もいいところ。イギリス紳士だろうか。
とりあえず、全体的には楽しい雰囲気が漂ってくる広告である。ロンドン走るの楽しそう!と思わせられる。

こちらはベルリンマラソン。よく見ていただくと、写真に出ている人たちみんなTシャツもシューズもアディダスで統一(※念のため、アディダスはドイツ製品です)。
フォトショップ加工のにおいがぷんぷんする。あとどこか、真面目でストイックな雰囲気が伝わってくる気がするのは気のせいだろうか。 コスプレで走ったら怒られるのかなーとか。

こちらシカゴマラソン。
周りに書いてあるメッセージが意識高いというか、「自・己・実・現!」という感じで、いかにもアメリカではないか。朝活とか競争とか仲間とか、まるでビジネス書ですかみたいな広告である。
走るのに目的なんているのかという考えが脳裏をよぎったが、走らないわたしが言っても説得力に欠けるのでやめた。ここに書いてるけど。

そして我らが東京。金と朱色でCool Japan, Cool Tokyoを前面に押し出したと思われる、ニュートラルでスタイリッシュな広告。
一番お金はかかってそうだよね…という話になった。
「もう受付締め切ってるのに広告出すってどうなの?」と落選した友人は憤りを隠さなかったが、おそらくここに載せて知名度を上げることが目的なのだろう。おそらく。

話をニューヨークマラソンに戻そう。コースはこんな感じである。New York Timesからいただいてきた。(リンク)

南のはじっこ、スタテンアイランドから始まって、ブルックリンを縦断、一瞬クイーンズとブロンクスも走ってイーストサイドからセントラルパーク内のゴールへ向かうというコースだ。
マンハッタンのランドマークはあまりカバーされていないけど、ブルックリンやセントラルパークの横を長いこと走るのは楽しそうである。

あるランナーから、応援のときには、
「あらかじめいる場所を左右どちらかまできちんと伝えておかないと見つからないよ!」
というアドバイスをもらったので、今回は、

・クイーンズボロブリッジに入るところの角の右側(上の地図だと15マイルの直前)
・5Aveからセントラルパークの南に入ったところのコロンバスサークルと7Aveの間あたりの左側(25マイルと26マイルの間、Central Park Southと書かれている「T」のあたり)

の2か所をあらかじめ応援するポイントと決めておいた。
友人の普段のタイムを聞いて、2か所を通過する時刻を計算した上で、地下鉄で移動することにした。
このとき、彼女のフルマラソンの最高タイムが3時間20分だと聞いてすごさに固まったのは別の話である。

どうやらランナー以外はスタテンアイランドに入れないらしいので、スタートはテレビで観戦。すごい人だ…
友人いわく、このスタートを待つ間が超寒かったそうだ。事前に聞いていた話だと、沿道に投げられた上着は寄付になるという話だったのに、いざスタート地点に着いてみたら、
「道路に投げられたものは全部捨てまーす。寄付用の箱に入れられたものだけきちんと寄付しまーす」
という説明がなされている。
日本人の美点、「もったいない精神」がうずいた彼女はスタート地点から100mくらい離れたところに設置された寄付用の箱に、ちゃんと上着を入れたらしい。
ちなみにこの日の気温は、朝は32度(摂氏0度)ぎりぎりくらい。昼間は50度(摂氏10度くらい)に届くか届かないか程度で、なかなか肌寒かった。えらい。ほんとにえらい。MOTTAINAIは世界を救うよ!
…前述の通り、わたしは暖かい部屋でほうじ茶を飲みながら観戦していた。

これまたすごい絵!「人が○○のようだ!」とラピュタの名言を叫びそうになる。
ともあれ、いつも車しか走ってないところを走るのは楽しそうだ。

友人が無事スタートを切ったということはニューヨークマラソンアプリで確認。寒空の下、あの人ごみの中にいるのねーがんばれーと祈るような気持ちである。
アプリのほかに、FacebookやTwitter、SMSで通知してくれるサービスもある。前日までに登録すれば2.99ドル(当日登録した場合は3.99ドル)なので、もちろん登録した。

友人が日本から持ってきてくれたおいしいお菓子をつまみながら観戦していた我々であるが、そろそろおにぎりとお茶とおやつを持って出陣である。
まずは最初の待ち合わせ場所のクイーンズボロブリッジのたもとへ。

我ながらなかなかいい場所を選んだ!
Queensboro Plaza駅から降りてすぐだし、そこまで人もいない。ランナーが目の前を走っていくのだけど、わき目も振らず、真剣に走っている人もいれば、コスプレしながらもやたら速い人、沿道の人に声をかけたり、パフォーマンスをしたりして盛り上げていく人もいる。
そんな中、沿道に手を振りながらにこにこ走って行く友人が登場するも、彼女はこちら気づかなかった。しかしここもう20km以上過ぎてるのに笑顔で手を振るなんて、余裕である。500m走っただけで心臓が破裂しそうになるわ、酸欠状態になるわなもやしっ子のわたしには想像を絶する世界である。本当に同じ組織を持つ人間なのだろうか。
ともあれ、彼女の姿を見届けたので、さっさとマンハッタンへ戻ることにした。

マンハッタンに向かうNQR電車から、橋の上を走る人たちが見える!楽しい!
しかし、実際に走った友人曰く、ここは相当萎えたそうだ。橋の最初は上り坂だし、沿道に応援してくれる人いないし、風は強いし…

57stまで戻って、ふたつ目の観戦ポイント、セントラルパークの横へ。この時12時過ぎくらいで、まだそこまで沿道に人はいない。紅葉がきれいだ。
友人が到着するまでちょっと時間があったので、スタバでお茶をさせていただいた。マフィンも食べた。あっためてくれておいしい。

スタバから戻ると沿道の人が増えていた!
前述の通り、これはセントラルパークの南にある、59stにあたるCentral Park South streetである。沿道の南側はアクセスしやすいので人がいっぱい。運よく空いてるスペースを見つけて陣取ることができた。セントラルパーク寄りの北側のフェンスの向こうは人も少なくて快適そうだった。

アプリを1分おきくらいに更新して友人の場所を確認。しかし、30km通過以降、本来なら5kmごとに更新されるアプリの情報が更新されない時間が1時間近く続いて、ちょっと焦る。彼女は1km6分弱で走っているので5kmに1時間もかかることはありえない。

しばらくひやひやしていたら、Facebookで通知が!
Facebookは10km単位で情報が更新されるのである。続いてアプリにも40km通過のタイムが更新されていた。
待っていた地点は41kmほどの場所なので、更新されて少し待ったら、これまた40km走ってきたとは思えないくらい軽い足取りの友人が向こうから南側のフェンスに沿って走ってきた。今度は気づいてもらえて、よかったー!会えたーー!と騒いでいたら周りの人たちにきょとんとされた。

ちなみにアプリもFacebookも、マイルとkmが混在していてめちゃくちゃわかりづらい。Facebookは10kmから40kmまで10km刻み、あとゴールの通知をしてくれるのだけど、どこまで走ったかはkm単位なのに、ペースは1マイルあたり何分で走っているかなので、計算が必要になる。
これは誰の問題かと言ったら、やはりアメリカで使われている単位の問題なんじゃないだろうか。改善を祈って、ほんと、マイルとかポンドとか華氏とか早くやめればいいのに…と悪態をついておこう。

友人は見事な完走!タイムは3時間50分台で、本人にとっては遅い方だったらしいのだが、「途中で止まって写真撮ったりしちゃったー☆」とあくまで余裕。十分楽しめたようだ。
Family Reunionはめちゃくちゃ混んでるから外で会え、という指示に従ってコロンバスサークル近辺で待ち合わせにしたのだが、これまためちゃくちゃ混んでいた。
走り終えた友人にわかめおにぎりをあげたら喜んでくれた。わたしももちろん一緒に食べた。

夕食には完走祝いと称して、ブルックリンのPeter Luger(リンク)でステーキを食べた!
ウォルフガングやスミス&ウォレンスキーよりお肉の味や焼き方も好きだし、フレンドリーでかしこまってない雰囲気も気に入ったのであった。価格もそんなに高くない。フレンチフライも絶妙な塩加減と揚げ加減でおいしかった。

ステーキの後、お茶しよう!という話になり、ウィリアムズバーグでお気に入りのお店(過去記事)、Pies 'n' Thighsへはしご。ここのかぼちゃパイ初めて食べたけど、クリームチーズとキャラメルの風味がおいしかった。上にのっかっている種もかりかりで食感と風味が楽しい。

あー。おいしかった。

………

念のため繰り返します。マラソンに出場したのは友人です。
わたしは基礎代謝+α程度しか消費してませんのであしからず。

本当に走るのが必要なのは、間違いなくわたしだ。

2013-11-02

新型Kindle Paperwhiteで読書の秋

誕生日プレゼントにもらってしまいました。新しいKindle Paperwhite。ちなみにWi-Fiの広告なしモデルである。
日本のamazonを見たら広告つきとかなしとか見当たらなかったんだけど…気のせい?

iPad miniの発売も控えていたのでちょっと悩んだのだけど、iPad持ってるし、iPadで本を読むのはちょっと重いという問題点があったので、Kindleにしてしまった。

ライブラリーはこんなかんじ。白黒ってなつかしいなあと思いつつ、目に優しい明るさと濃さがよい。

新しく加わったフォントはこんな感じ。読みやすいかも。

マンガもこの通り。iPadだといかにも電子ファイル!という感じなんだけど、ほどよいにじみが紙の本っぽい。

気になる重さ。
ケースつきで339g。iPadより軽い。これを紙の本と比較してみる。


ふむ、新書にはかなわないけど、ハードカバーには圧勝。
この中に何冊も本を入れられることを考えたら、重さも大きさも完璧である。

明るさの自動調整こそしてくれないけれど、とにかく目に優しくて読みやすい。
iPadは本を読むにはきれいすぎて明るすぎるのかもなあ。eインクなんかすごい。
画面を切り替えるときのeインクのざーっと流れる感じも、最初は気になったけど今はそうでもない。特に小説とか普通の(?)読み物なら全然大丈夫。マンガもそのうち慣れてしまった。iPadに比べると少し動作が遅いところはあるけれど。
気になる容量だけど、こちらは2GBで、マンガを30冊、小説を10冊ほど入れてたら容量がいっぱいになってしまった。結構こまめに消している。

あれ、今気づいたんだけど、日本のPaperwhiteは容量4Gなの!?
やってしまったか…?倍となれば、マンガが60冊入るのでもうちょっと便利かもしれない。

 

そもそも端末がアメリカより数千円くらい安いし、11月末まで電子書籍プレゼントとかもやってるし、これは買いですよ。日本のみなさん。
というかうらやましい…

では、最近読んだ本をまたもやちょこちょこ載せておきます。

 
一九八四年 (ハヤカワepi文庫) (ジョージ・オーウェル)
あまりにも有名なんだけど、初めてちゃんと読んだ。訳者あとがきにもあるように、小説母国イギリスでも「読んだことあるふり」をする人が多いそうだ。
政府による個人生活の監視への批判は今の世の中でもそのまま通じるような内容。セキュリティーと人権のバランスって難しい。
ロンドンを舞台にしたハードボイルドSF的な面白さにも溢れていて、単純にも楽しめる。古典の渋い雰囲気を豊かに伝えつつ、現代っぽさもうまく取り入れられた翻訳がすごくいいなあと思った。
思わず英語版(こちら)も買ってしまった…Kindleだと辞書を引きながら読めるので楽ちんだし、あとで単語帳でチェックできるのも、語彙のないわたしにはうれしい。英語版も渋くてかっこいい。
英語の本は左から右に読んでいくので、ケースを後ろに折りたたんだコンパクトな状態で右手で持って右端にタッチすればページがめくれる、というのは読みやすい気がする。左端を触る必要がある日本語の本を片手で読むのにはちょっとバランスが悪いような?わたしの左手が不器用なだけかもしれない。

 
全訳 源氏物語(与謝野晶子)

古典つながり…って時代違いすぎますけども。
99円で源氏物語が全部読めるってすごい。わたしのKindleの容量を圧迫してたりするのかもしかして…
源氏物語って、よく目にする部分とそうじゃない部分の差が大きいけど、知ってる部分は相変わらずねえ光源氏さん、みたいに読めるし、知らない部分についてはへえーこんな話もあったんだーという発見があるのが楽しい。

 
ハードボイルドつながり。1995年発行なので、携帯とかはなくて古い時代の話が多いし、まだ「世紀末」とか言っているけれど、10年以上前に初めて読んでから、わたしの中で全然色あせない小説。もちろん紙の本も持っているのだが、Kindleになってたのでつい…
魅力がひとつも伝わらない紹介の仕方をすると、新宿で爆発事件が起きて、その犯人を追うという話。ちょっと頑固で不器用で変わっているキャラクターが多くて、みんな魅力的。恥ずかしながら、この小説の中に出てくる優子さんがかっこよすぎて外国語勉強しようと思った過去あり。きっかけなんてそんなものですよね…

ところで、Kindleの中身をよく見たら、クラウド上に100冊を超える本があった。
持ってる紙の本に比べたら大した量じゃないけど…そうか、Kindleを使い始めてからもう100冊も買ったのか…とちょっと遠い目になった。

ただでさえ寒くなって出不精に拍車がかかりそうな季節なのに、ますます引きこもりが捗るアイテムを手に入れてしまったけど、明日はニューヨークマラソンに行ってきます!
…応援だけどね。