2020-06-18

「赤ちゃんポスト」を「ハッピーゆりかご」に。女性ジャーナリストたちの連帯に泣いた

Photo by Michael Walter on Unsplash


女性ジャーナリストたちの「薔薇棘勉強会」

先日、読んだ本の中に、女性ジャーナリストで作る「薔薇棘勉強会」というグループの活動が載っていた。人数なんと600人!その薔薇棘(略します)が、日本での養子縁組の啓発、ひいては法制化に貢献していた…というのだから、フェミニストで、養子母のわたしとしては気になりすぎる。

足をどかしてくれませんか。——メディアは女たちの声を届けているか

本では、NHKの山本記者が薔薇棘を立ち上げた経緯や、2012年に貧困などからくる子どもの虐待死と、赤ちゃん縁組について勉強会をしたことがきっかけとなり、複数のメンバーが自分の所属するメディアで特別養子縁組について取り上げたことが書かれている。女性のネットワークやコミュニティの強さを感じて感服したのだが、この件を研究者の清水麻子さんが詳細にまとめた論文に心が震えたのだった。

日本におけるジャーナリストネットワークと社会的弱者支援の可能性

「赤ちゃんポスト」はメディアが生み出した

2006年、熊本の慈恵病院が、予期しない妊娠をした女性と、その子どもを救うために「こうのとりのゆりかご」を設置した。これをメディアは「赤ちゃんポスト」というネガティブな名前で報道した。以下は「赤ちゃんポスト」と「こうのとりのゆりかご」がどのような割合で使われていたか示す表。赤ちゃんポストがほとんどでドン引きする。


著者によると、こうのとりのゆりかごの報じられ方は、

「親の身勝手な理由で捨て子を助長する」vs「困窮した母子は貧困などの事情を抱えている」

「社会にこうした装置ができること自体が倫理上の問題」vs「倫理面より赤ちゃんの命を救うべき」

という二項対比だったとのこと。確かに、対比をしてバランス良く見せるこのやり方(「客観報道」というらしい)は新聞などでよく見るが、著者はこの客観報道について、社会問題を解決する役には立たないと切り捨てている。

こうした「客観報道」は,「最大多数の最大幸福」の原理に引っ張られ,
現状にある「妊娠し,子どもを捨てる身勝手な親」というイメージを覆さない。もちろん社会改革への議論に繋がることはあるが平行線に始終してしまう。結果として「予期しない妊娠をした女性と子どもの命を救う」という新たなイノベーションは導かない。

女性ジャーナリストたちによる問題の再定義

2012年、薔薇棘を主催する山本記者は、予期しない妊娠や経済的事情など、さまざまな理由によって「産んでも育てられない女性」が存在すること、妊娠に苦しんで自死してしまう女性がいること、生まれた子どもが捨てられて死亡してしまうことなどを知ったそうだ。

そして育てるのが困難な子どもを子どもを希望する夫婦に特別養子縁組をする「愛知方式」について勉強会を行い、自ら番組を作った。作られた3本の番組は、0才児の虐待死を防ぐことをめざし、『「予期しない妊娠をした女性と,その子ども」を包摂する』という明確な意図を持った「主観報道」だったとされている。


その後、薔薇棘メンバーが自分のメディアで問題を発信する。この見事な連携プレイ、『オーシャンズ8』を思い出したのはわたしだけだろうか…(いやあっちはちょっと悪いかんじだけど)


女性ジャーナリストたちは、困難な状況にある母親に思いを馳せ、解決するべきだという信念を持ってこの問題を発信し続けた。結果、赤ちゃん縁組は子どもを救う方法として前向きに受け止められるようになった。


そして「赤ちゃんポスト」は「ハッピーゆりかご」になった

薔薇棘の勉強会を通し、日本財団は養子縁組を促進する「ハッピーゆりかごプロジェクト」を2013年に立ち上げた。赤ちゃんポストと揶揄されていたものが、「ハッピーゆりかご」という温かくて、幸せそうな名前になったことに感動する。

日本財団 ハッピーゆりかごプロジェクト

さらに2016年には当時の塩崎厚生労働大臣によって児童福祉法が改正され、すべての子どもを家庭で育てる原則や、子どもの権利が初めて(!!!)日本の法律に盛り込まれた。

「どんな親でも必要なのは愛」 塩崎恭久氏が語る里親と特別養子縁組のこれから


つながればできることがある

ハフィントンポストによると、女性の記者は2割強。組織の中で発言力を持つためには30%が必要だというので、全然足りていない。トップに近づけば近づくほど女性の割合は減っていき、41社中30社は女性役員ゼロだそうだ。

メディアの“女性活躍“はどうなってる?41社中30社で女性役員ゼロ【国際女性デー】

残念ながら、この割合が明日突然50:50になることはない。それは悲しいことだけど、薔薇棘メンバーが見せた共感と連帯、社会問題を解決しようとする熱意には勇気をもらった。

それぞれの持ち場では、女性たちはマイノリティかもしれない。でも、ちょっと周りを見渡してみれば、仲間がいるのだ。そんなことを考えた2020年の国際女性デーだった。