2013-07-21

ミツワ初上陸、「日系」スーパーはこれからどうなる?

ミツワ。それはニューヨーク在住の日本人なら誰でも耳にしたことのある日系スーパーである。ニューヨークのスーパー事情をひたすらブログにまとめて(これとかこれ)電子書籍にまでしたくせに(これ)、ミツワ行ったことないなんてもぐりだよね、ということで行ってきた。
マンハッタンから行くにはポートオーソリティーからのシャトルバスを使う。水曜日、木曜日以外は片道3ドル。どうやら他のバスよりもお手頃なせいか、地元の人の足としても使われているようである。
25分ほどで到着!
外観はよくあるアメリカ的な四角い建物…なんだけど、「九州沖縄物産展」とかでかでかと出ている。残念ながら今週の中盤からだったが、店内ではすでに準備が始まっていた。

この中はどれだけ日本人だらけなのか!とわくわくしながら店内へ。
いきなり目に入ってきたのは混みまくりのフードコート。おなかも空いていたのでさっそくお昼ご飯を食べることにした。
あの山頭火があるというのも日本人社会では有名。しかしお昼ちょっと前にも関わらずお店の前には長蛇の列で、並ぶのがめんどくさい。その横にあった茅場という名前のお店でうどんとかつ丼のセットを頼んだ。8ドルくらいで超お得である。ニューヨークじゃ考えられない値段だねえと夫と感動した。
「当店のかつ丼はひと味違います!」みたいなことが書いてあったのでちょっと期待してたんだけど、うん、まあ普通だった。値段なりである。夫が頼んでいた天丼はそこそこおいしかったので選択を間違えたかもしれない。
フードコートには、中国語やスペイン語を話している家族連れっぽい人数の多いグループが多くて、日本人があまり見当たらない。お手頃だから近所の人たちが買い物はしないけどごはんだけ食べにきているのかなあと推測。

本館を見る前に離れというか向かいの建物へ。大きな三省堂書店があった。
東京にいた頃、一番好きな本屋さんは神保町の三省堂だったよ…ということを思い出してホームシック再燃。マンハッタンの紀伊国屋より見やすい陳列をしてある気がするけど、商品の絞り込みがうまいのだろうか。一番奥にはなつかしい日本の文房具もたくさん売っていたけど、来月一時帰国するのでとりあえず見なかったことにする。

その他この離れには陶器を売っているお店やおもちゃ屋さんも入っていたのだけど、なんだろう、雰囲気が懐かしいのである。プラモデル系の箱が積み上がっていたし、奥まったところには日本人形とか売ってたし、「わたしたちが子供の頃のおもちゃ屋さんっぽいね」という意見で夫と一致。今思えばテレビゲーム類が置いていなかったかもしれない。お店の中にはお客さんより店員さんが多いくらいの静かさで、日本の地方を彷彿とさせる。
離れの一番はじっこのスペースは空いていて、テナントを募集していた。

さてやっと本館へ。
マンハッタン在住のわたしたち、ニュージャージーは道も広いし勝手にミツワは奥が見えないくらい大きいんじゃないかな!?と想像していたのであるが、そうでもない。向こう側が見渡せないくらい広いなんてこともなく、日本の地方のスーパーくらいの大きさである。都内でもこのくらいの大きさの西友とかあるよねというくらい。イオンモールほどは大きくないと思う。
で、フードコートの混みっぷりはなんだったのか、スーパーはそこまでごみごみしていない。試食をくばる人がたくさんいるんだけど、飛ぶようになくなるなんてことはなさそうで、店員さんたちが呼び込みをしていた。
前に友達から「日本よりも種類が多い!」と聞いていた納豆売り場。
確かにこの充実度はすごいかもしれないけど、都内でスーパー選びたい放題の場所に住んでいたわたしとしてはそこまでの感動はなく…すまん友人。結局買わなかった。
ところで、ミツワのある場所には、こんな不思議な法律があるそうだ。

「電化製品は郡の法律により日曜日の販売はできません。」
へー。これおもしろい。「Blue Law」というのは日曜日をお休みと課す法律だそうで、おそらくキリスト教の名残なのであるが、アメリカ国内でもそこまで多くの場所で残っているわけでもないようである。


このミツワの近隣のBergen countyでは、日曜日の電化製品や洋服、家具の販売が禁止されている。このBlue Lawさん、去年のハリケーンの時には1週間だけ特別措置がとられたようだけど、その後見事復活を果たしたそうだ。
しかしさーーー、ヨーロッパみたいにお店ごと休みってわけじゃないと、開いててお客さん来るんだし、レジの人は働いてるんだし意味ないよね…と激しくつっこみたくなる気もする。


あ、もうつっこまれているようである。税収を上げるためには日曜日の営業を許可するというのは手っ取り早いだろうし。
ということで、電化製品売り場はきちんと見られなかったのだけど、テスコムの割とお手頃なキッチン用品とかもあるので必要な人はいいかもしれない。

最終的にネギとかちょっと懐かしい細長いナスとかカルピスとか、日本を思わせるその辺の食材を買って帰ったのであった。スーパー研究家のわたし観察によると、野菜の価格はもしかしたらダイノブに軍配が上がりそうではあるが、せっかく来たし何も買わないで帰るのも悔しい。レジもそこまで混んでなくて快適と言えば快適な買い物体験であった。塩辛とかイカの一夜干しとかは魅力的だったけど、暑いのでちょっと怖くてやめてしまった。次行くとしたら保冷バッグを持って行くかも。

しかし、なんと言えばいいのだろうか。わたしの想像の中でミツワはなんでもある巨大なサンクチュアリと化していたので、想像を盛り上げすぎて、がっかりした感がある。売り場面積が広いからアドバンテージのありそうなのに、マンハッタンのサンライズマートとかダイノブとそこまで変わらない品揃えのような気がしてしまう。
期待していた化粧品とか日用品売り場にも、わたしがすごく欲していた汗拭きシートが見つからない。日本だとどのドラッグストアでも入口近くに置いてあるのに。お徳用サイズも出ちゃうくらいなのに。なんで男性向けのギャツビーの顔拭きはあるのに女性向けの汗拭きシートはないんだろう?ニューヨークで働く日本人女性は汗かかないんですか?
日本であれだけ支持を得ている(と勝手に思い込んでいる)商品がないとなると、せっかく広いのに、サンライズマートやダイノブと同じ仕入れ元の同じカタログから買ってますね?という深読みをしてしまう。需要を無視しているのは仕入れ元なのかそれとも買う方なのか。あ、汗拭きシートくらいで騒いですみません。ともあれ、マンハッタンからわくわくした気持ちで来るお客さんに対する差別化ができていないように感じた。その差別化のできてない感じが、時間が止まったかのように古さというか哀愁というか、「海外での日系スーパー」の衰退を予期させるのであった。

日系の食べ物に関して言えば、和食の人気の高まりとともに少し大きめのスーパーに行けば簡単に見つかるので、ミツワができた時代とは和食材のレア度が変わってきているというのもあるだろう。
また、以前の日本人よりも今の日本人はいろいろなものを食べて育ってきているから、「焼き魚食べないと1日が始まらない!」「お酒のおつまみには絶対枝豆と塩辛」という昔の人たちのこだわりは、「今日の朝はパンでもいいや」「お酒にはチーズでもいいや」という嗜好に置き換え可能だったりして、昔からの蓄積による食へのこだわりというか欲求も変わってきているだろうし、ゼロにはならないだろうけど需要そのものが減って行く恐れもある。
おそらく、だからミツワは日系スーパーとしてこちらの現地の人たちが食べられないような納豆とかで日本人を呼び込んでいるのだろうけど、もっと食が多様化して、日本人の和食依存度が下がったらこういうお店は何を売りにするんだろうなあというのを考えると面白い。日本人に限らず和食大好きな人たちを呼び込むか、「どうしてもこれだけは!」というものを高値で売るか。
…と、ここまで勝手に妄想してしまいました。

帰りのシャトルバスの乗客の中で日本人はわたしたちだけだった。
とりあえずもう1回くらいはちゃんと観察するために行くかも。でも往復1時間以上は遠いので涼しくなってからにしようと思う。

(2015/2/17追記)

ありゃりゃ、ミツワのシャトルバス、2014年末でなくなったようです。

2013-07-20

ここのところ読んだ本の記録

久しぶりのブログになってしまった。1週間以上空けないようにする!という抱負を年始に立てたけど(ああ、ここに明記している)、今更ながら最近『あまちゃん』にはまってしまって、空き時間にはずーっと見ていた。
やっとリアルタイム放送に追いついて、1日15分で済むようになったのでブログに戻ってきたのだけど、テレビドラマを見なきゃ!と思えるような番組は数年ぶりなのでうれしいとともに自分の中の廃人気質に気づかされて、ちょっと怖いなーとも思ったりした。
というどうでもいい前置きは置いておいて、最近読んだ本を軽くまとめたい。


残月 みおつくし料理帖 (ハルキ文庫) (高田郁)
うひゃーーーついにきました!みおつくし料理帖の最新刊ー!
個性のあるキャラクター全員にストーリーが展開されていくいつもの流れなんだけど、今回はずーっと気になっていたお話が一気に進行したり、今後の急展開を予感させる流れになったりと相変わらずどきどきはらはらしながらも続きが楽しみになる。
街や食べ物の描写はとても生き生きとしていて、江戸時代にタイムスリップした気分になれることうけあい。食材のみずみずしさや色合い、香りまで伝わってくる描写はさすがとしか言いようがない。
これを読んだあと和食が恋しくなるのが苦しいところ。大戸屋行くかー。凍み豆腐を使った料理ならこっちでも作れそうだなあ。


選択の科学 (シーナ・アイエンガー)
個人主義的社会と集団主義社会という言葉はよく聞くけど、実際にどういう面で影響を及ぼしているのかということを研究結果を通して理論的に書いていておもしろい。
例えば個人主義社会のアメリカでは小さい頃から何かを考えて、選ぶことを求められて育てられるけど、集団主義社会の日本では年長者の言うことに従うように育てられる。その育てられ方によって、それぞれの文化で育った人たちに対する効果的な動機付けの方法は異なるということを示した研究は、いろいろ考えさせられるところがあった。自分を棚に上げて、「既定路線」をたまにの飲み会で愚痴を流しつつも基本的に何の迷いもなく邁進する、日本の元同僚たちを思わずにいられないのである。
選択肢の多さが迷わせるとか、利益につながらないということは以前読んだこの本とかぶるところがいっぱいあるような気がした。それでも人生の中でとりうる多様な選択肢があるということは社会にとって重要だと思うけど。著者の日本の文化に対する造詣の深さも手伝って、ベストセラーになったのかなあ。


ビッグデータの覇者たち (講談社現代新書)(海部美知)
アメリカのいろんな事例が幅広く載っていておもしろい。
以前のわたしのように「ビッグデータとか言っちゃってなんだよ、結局情報分析じゃん。アメリカって大げさな名前つけるの好きだよね」って思う人もいるかもしれないけど(すんません)、世論調査や視聴率に代表されるような大雑把なこれまでの情報分析というか統計手法がこれからはどんどん細かく、いろんな情報を含んだ精度の高いものになっていくんだろうなーと思うと、これまで世の中で埋もれていたものがさらに発掘されて、個人対個人の小さな商売みたいなものもさらに活性化するんだろうなあとわくわくしてくる。
あと、わたしはこの本の中の個人間通信(コミュニケーション)とマスコミの比喩がものすごく的を得ていて感動した。そう、個人間通信に代表されるおしゃべりみたいなものをSNSの広まりで突然公衆の面前にさらす人が登場したから炎上するんだよなあ。インターネットのせいでパブリックな社会と個人のつながりってどんどん垣根我なくなっていく中で、昔から言われてるITリテラシーというか、エチケットをどう育んでいくかって難しいんだろうな。適切に「怖い」と思うことも大事だけど、あんまり「怖い」と思わせても利益が得られないしねえ。


英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)(斎藤兆)
明治から昭和初期にかけてのいわゆる偉人たちの英語にまつわるエピソードをまとめた本。
新渡戸稲造や岡倉天心、白州次郎などなど、どうやって英語を勉強したのか、実際に英語を使う力はどのくらいだったのかというのをたくさんの文献にあたって紹介しているだけでなく、著者が教育や研究現場から得た知識や見解も盛り込まれていて興味深い。
この中ではっとさせられた文章があった。
僕自身(著者)が見聞したところから概論するに、英語を母語とする人間に「あなたは英語がうまい」と言われるのは英語習得の初歩の段階で、もう少し上達すると「あなたは私より綺麗な英語を話す」などというほめられ方をする。そして、発言や文法のミスを犯しながらも意思伝達に支障がなくなるにつれ、英語をほめられることが少なくなるようだ。
うわー。これすごくわかる気がする。わたし、ネイティブたちに結構ほめられるもん。で、もっと上手な人はほめられてるところを見たことないもん。まだまだ先は長い…ぐすん。


大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))(よしながふみ)
これまたやっと読んだベストセラー系。ニューヨークの図書館には漫画がおいてあるところも多くて(参考)、この本も図書館で発見したのである。英語だけど。
社会で男性の比率が少なくなったらという仮定をおいて、役割が変わるところと変わらないところ(生殖機能が中心かなー)を示すことで、平等ってなんだろうということを考えさせされる。あと江戸の描写も楽しい。
ところでこの本の英語、最初全然意味がわからなかった。英語なの!?と思う言葉がたくさんでてきたので自分の英語力にしょぼくれていたんだけど、ちゃんと古い英語に訳しているようである。thou(汝、今ならyou)とかthy(汝の所有書く、今ならyour)とか、知らなくてもいい表現だけど、知識として得られたことがちょっぴりうれしかった。まあ読むのにめっちゃ時間かかるけど。

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よく考えたらあと数冊読んでたけど、久々の文章で疲れたのでこの辺で。
ここ2週間くらい、あまちゃんずっと見てたり、本読みまくったり、充電期間だったのかもなーと思ったのだが、原因が思い当たった。




























暑さだ暑さ。熱帯夜なんて当たり前のこの天気。おうち最高だよなーとそこがニューヨークであろうとも引きこもりっぷりを発揮するわたしであった。

2013-07-09

モントリオールに癒された独立記念日

アメリカでは貴重な祝日、独立記念日を利用してカナダはモントリオールへ行ってきた。
「え!せっかくお祭りで花火見られるのに!?」といろんな人に言われたけど、どうしても5日にモントリオールに行きたかったのだ。


モントリオール国際ジャズフェスティバルーーー!!!
これは大学(UQAM、ケベック大学モントリオール校らしい。ユカムって発音してた)の建物に投影されたサイン。
数秒おきに絵が変わって、どれもこれもおしゃれ感満載である。

お目当ては、大好きなスコットランドのバンド、Belle and Sebastianでした。
撮影禁止だったのでライブの写真はないけど、こちら会場。またもやおしゃれ感満載。

さて、読者のみなさんを置き去りにするのはこの辺で終わりにしよう。
今回、ひいきのBelle and Sebastianは北米ツアーで、ライブ会場にはモントリオール以外にもオタワとかトロントとかのカナダの都市や、ビッツバーグやボストン、ニューヨークとかのアメリカの都市も含まれていた。
出遅れたのでニューヨークのチケットは売り切れ・・・・どうせだしお休み取ってライブ行くか!と思い、カナダに行くことにした。
そこで、カナダ人同僚に「カナダ行ったことないんだけど、オタワとトロント、ケベックとモントリオールだったらどこに行くべき?」と聞いたところ、
「オタワはワシントンDCみたいな政治都市、トロントはプチニューヨーク、ケベックもいいけど、モントリオールが超おすすめですー。いいんですよーーー」
と言われ、即決でモントリオールにしたのであった。

ということで、モントリオールの素晴らしさをしつこいくらいにお届けしたい。はい、本当にしつこいですよー。
フランスっぽい歴史的建造物。


絵になる街並み。きれい、ゴミがない、臭くない、落書き少ない。ちなみにこのレストランでご飯食べたけど、フォアグラやら、スープやらおいしかったーーーーー。


フランス語・・・・はあんまり見えないけど、色々書けちゃう黒板が置いてあったり。


町のあちらこちらで発見できる現代アート。これ、MacBookみたいなラップトップなんだけど、表面のリンゴは洋ナシになってて、画面にはジョブズが亡くなったというニュースが出ている。芸が細かい。


これまた近代的な建物。Palais des congrès de Montréal(リンク。写真がオサレ・・・・)という、コンベンションセンター的な存在である。


この建物の中。明るい光がさしてるとこんなかんじで超きれい。現代版ステンドグラスとでも呼ぼうか。

きれいで明るくて臭くない地下鉄!ちゃんと次の電車が来る時間も出ている。


整備された植物園にはなぜかハチ公が!時刻表だろうか、ちょっと違う気がするけど芸が細かい。


常設展は入館無料の美術館。(Musée des beaux-arts de Montréal)このときはガラスを使った作品で有名なChihulyさんの展示がやっていた。
どこかで見たことあるなーと思ったら、ラスベガスで見た作品の作者だった。(過去エントリー:『ラスベガスは巨大な大人のディズニーシー』


このChihulyさんの特別展の展示が屋外にも!!!いくら監視カメラがあるからって、大丈夫なんですか!とニューヨークから来た我々は心配になってしまう。


これまたなぜか屋外に置かれたピアノ。この隙がありまくりの状態が治安の良さを物語る・・・・というか、ここまで来ると自分の心が疑い深く、汚れてしまったんじゃないかと思い始めるほどである。
4歳からピアノを習っていたプライドをかけて、公衆の面前でネコふんじゃったを弾いた。



おいしいごはん。ちょっと上の女性が前に立っていたレストランのメイン。これはお豆とお肉を煮込んだフランス料理、カスレである。うぎゃあああ。おいしい。モントリオールで食べたものはなんでもおいしくて、夫と一緒に、野菜の味が濃い!素材がいいんだねえ、と褒めちぎる。


おいしいデザート。ミルクジェラートである。甘すぎない・・・・ふわふわ・・・・繊細・・・・!!

いい。非常にいい。
すっかり気に入って、「Montreal job」でぐぐる始末である。

モントリオールで一番感動したのは、街がとにかくきれいなこと。
建築物やいたるところにあるアート作品がおしゃれできれいな街を演出している、というのはヨーロッパ各地で見られると思うんだけど、ここまで町にゴミがなくて、においがない場所はなかなか見たことがない。ミュンヘンくらいかなー。
まるで、日本とヨーロッパのいいところを足してできたような場所である。おっとここまでいくとさすがにほめすぎか?と一瞬思ったけど、いや、そこまで言う価値がある。

人々はすごいゆったりしてて、赤信号渡らない人の方が多いし、コンビニっぽい24時間営業のお店の店員さんも、お金出し間違えても嫌な顔とかしない。施設のチケットカウンターの人は親切、公共施設はきれい、そしてなにより、何度も言おう、街が臭くない!!
ああ、ニューヨーク砂漠で疲れた心を癒す、モントリオールオアシス・・・・こんなオアシスが飛行機で1時間ちょっとで行けちゃうのは非常にうれしい。
オアシスのおかげで、ニューヨーク生活の慌ただしさとか、冷たい人とか、漂う悪臭が、無意識のうちにストレスを蓄積させているんだなーということに気づくことができた。

そういえば、昔この映画で、アメリカから国境を越えてカナダに入ると、家に鍵をかけてないとかそういう違いを描いていたなあ、ということを思い出した。同じ北米なのに、全然違うんだなあ。


そんなカナダののんびりさを実感して、同僚のカナダ人女子がなんで天然癒しキャラなのかちょっとわかった気がした。

2013-07-02

日本の(英語)教育のいいところを考えてみる

「ここが変だよ、日本の英語教育!」と言わんばかりのブログを、taichinoさんが書いてくれていた。

[アメリカ日記14] 僕が英語話せないのは日本の教育のせい(taichino.com)

うわーーーめっちゃ共感するーーー!と拍手を送りたい気分だったのであるが、どうやら「全部学校教育のせいにするんじゃない!」という意見があるようなので、今日のわたしのブログでは、英語習得に関して日本の教育が優れているところを考えてみたい。
(※余談だけど、taichinoさんはわたしがニューヨークに来てから、社外の人で初めて知り合った日本人の方である。我が家と境遇が似ていて、ランチをしたときには話が尽きなかったーーー)

ちょっと前までわたしはニューヨーク市がやっている無料英会話コースの一番上のクラスに通っていた。ちなみにこのクラス分けの前には筆記試験はなく、会話のテストだけだったので、「会話ができる」と判断された人がこのクラスに来ている。無料コースなので、来ている人の層はtaichinoさんが行かれていたコロンビアのコースとは違うと思うけど、さまざまな国の人たちと比べて、日本の教育のここはすごいんじゃない?と思うところを書きたい。
ちなみにご参考までに、わたしの英語力はこんなかんじである。→『TOEIC900点の世界(一例)』

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(1)スペリング・語彙力が強い
メキシコ人の子が、「ファミリーってどういうスペルだっけ?」と聞いてきたときはちょっとびっくりした。多分日本人で中高と英語をきちんと勉強していた人で、familyのスペルが書けない人はほとんどいないと思う。これはこの人だけの問題なのかな・・・・と思ったんだけど、クラスの中の中南米の人たちは喋れてもスペルが苦手な人が多かったので、逆に考えると日本の教育はすごいのかもしれない。
あと、これは英語に限った話ではなく、教育や社会全体としての話であるが、「narcissism」を「それは何?」と聞かれたときに、知識を必要とする語彙も日本人は多く持っているのかもなと感じた。
カタカナ語は弊害もあるけど、たくさんの英語から輸入された言葉や概念によって日本人の知識や思考能力は底上げされていると思う。


(2)文法もやたら強い
あるとき、「hardlyは形容詞か、副詞か?」という問題を先生が出した。
間違えようがないでしょう!と思ったんだけど、なんとクラスでは副詞は少数派。わたしを含めてセネガル人、中国人、ブラジル人の4人のみ。残りの中南米組、ドミニカやメキシコ、アルバニア、南アフリカから来た10人くらいの人たちは形容詞と答えたのである。
形容詞、副詞、という文章を形成する概念をきちんと理解しているかどうかは英語教育だけではなく、母国語も含めた教育レベルの問題もあるかもしれない。先生がかなり丁寧に説明しても、副詞という概念を理解するのに苦しんでいる人が多かった。
他にもびっくりしたのは、I, My, Me, Mineみたいな主格、所有格、目的格、所有代名詞がごっちゃになる人がいたこと。I gave her itみたいな文章の「her」が「she」になっちゃたりするのである。これも日本人だとあまりいないのではないだろうか。


(3)学ぶことに対してまじめ
これも英語教育に限らずの項目だけど、わたしが通っていたクラスでは、言われた宿題やってこないとか当たり前、勉強に来ているのにノートも持ってこない人とかいるのである。
さらに、授業の最中に先生が「今は人の意見をちゃんと聞きましょう」って言ってても話し出したり質問したりする人もいれば、無料だからといって途中でレッスンに来なくなる人もいる。かと思えば「早く上手になる方法はなんだ」とか言い出す。なんだろうこの違和感・・・・自己啓発本を読みまくって近道を探しながら、毎日夜更かしして寝坊してずーっと眠い状態で何もやる気がおきない、みたいな感じである。
日本の情操教育ってなんでも一律、従順さを鍛えられているようで気持ち悪いところもあるけど、短時間で何かを学習するのに適した集中の方法を教えているのかもしれないなあ、と感じた。

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(1)、(2)を見ると、学校の英語教育では英語を学問として「勉強」している気がする。
どちらかというと算数より数学というか。普段の生活に難しいことは必要なくって、加減乗除ができればそれで十分である。それなのに、足し算引き算よりも、ヘロンの公式とか三角関数の定義(証明とか手を動かすものではなく、ひたすら定義)を一生懸命勉強している感じ。材料としてヘロンの公式は知っているけど、使い方がわからないというか。・・・・あれ、なんか数学の話になってしまった。
わたしが言いたいのは、英語を普段の生活で使うレベルで使う、つまり話すとか簡単な文章を書く、ということは、加減乗除に近いのではないだろうか、ということである。話すときには「この単語のスペルはxxだ!」とか「これは副詞だ!」なーんて考える必要はない。もっと足し算、引き算レベルの簡単な何かを瞬時にやる必要があるのである。瞬時にできるようになるには場数、繰り返ししかないような気がしている。
で、場数を踏むとか繰り返しとかは日本の教育の(3)が優れているような気がするんだけど、今のところ(1)(2)は「日常で英語を使う」というところにフォーカスを当てていないので、さあ喋らなきゃ!となったときに困ってしまう。

他の国の人たちの何かを学ぶ姿勢って全然ちがう。わからなくても手を挙げてしゃべろうとするし、質問もめちゃくちゃする。文法めためただし、言ってることを多分きちんとしたスペルで書けないけど自分の考えは表現しようとするし、副詞を形容詞と思っていようとも、それを正当化するために議論はいとわず、言葉を重ねる。
そりゃー圧倒的に喋れるわけである。日本人には、わからないときは手を挙げない、文法めためただったら恥ずかしくて喋れないって人が多いもん。

以前参加した異文化コミュニケーションに関するセミナーの中で、日本人と長く仕事をされてきたという講師のアメリカ人の方がこんな風に日本人の英語を評していた。
「日本は教育レベルが高く、小中高とすごく勉強をしている。だから書かれている英語は理解できる。でも、残念ながら日本の英語教師は英語がしゃべれない人が多く、書く力と比較した場合、話す力、聞く力は弱い」
ちなみに大学は小中高までの勉強で燃え尽きていて、4年間のお休みみたいなものだ、とも言っていたけどね・・・・

ふと、日本の英語教育は何を目指しているんだろう?と思って調べてみた。
今、高校には「英語会話」という教科があるらしい。文部科学省の「新学習指導要領」によると、英語会話の目標、内容はこんなことだそうだ。

高等学校学習指導要領(文部科学省)


1 目標英語を通じて,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成するとともに,情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりする能力を更に伸ばし,社会生活において活用できるようにする。 

2 内容

(1) 生徒が情報や考えなどを理解したり伝えたりすることを実践するように具体的な言語の使用場面を設定して,次のような言語活動を英語で行う。
  • ア 相手の話を聞いて理解するとともに,場面や目的に応じて適切に応答する。 
  • イ 関心のあることについて相手に質問したり,相手の質問に答えたりする。 
  • ウ 聞いたり読んだりしたこと,学んだことや経験したことに基づき,情報や考えなどを場面や目的に応じて適切に伝える。 
  • エ 海外での生活に必要な基本的な表現を使って,会話する。

(2) (1)に示す言語活動を効果的に行うために,次のような事項について指導するよう配慮するものとする。 
  • ア リズムやイントネーションなどの英語の音声的な特徴,話す速度,声の大きさなどに注意しながら聞いたり話したりすること。 
  • イ 繰り返しを求めたり,言い換えたりするときなどに必要となる表現を活用すること。 
  • ウ ジェスチャーなどの非言語的なコミュニケーション手段の役割を理解し,場面や目的に応じて適切に用いること。

・・・・・・・・
これだけだとあんまりよくわからなかった。確かにこれができたらしゃべれそうな気はするけど、逆にすべてをひろくカバーしすぎててよくわからない。
実は指導要領を引っ張り出してきて、これじゃだめなんじゃないのーーとかコメントしようかと思っていたのだけど、うん、まあ、玉虫色ですな・・・・
しかしこの、目標のあいまいさって、日本人の多くの人が「英語できないな・・・・」と感じる根幹にある気がする。
どうなれば目標達成なのか。ペラペラ?じゃあペラペラって何?ネイティブみたいに喋ること?発音は?・・・・と、よくよく考えてみると、達成レベルはよくわからないのである。

指導要領と言えば、アメリカ人の同僚が以前日本で英語を教えていたときのエピソードを教えてくれた。
彼女は小学校に行って英語を教える仕事をしていたそうなのだが、ある日、生徒のひとりが「Here you are」と言って物を渡してきたのに対して、「Here you areは丁寧すぎるから、Here you goのがいいよ」とネイティブらしい指摘をしたそうだ。
そのあと彼女は日本人の先生に呼ばれ、「指導要領ではHere you areになっているので、勝手に教えられては困ります」と釘を刺されたらしい。ネイティブが自然な言い方を教えているのに、おかしいと言われることが納得できなかった、と彼女は苦笑しながら話してくれた。

言語は生き物、とはよく言われる。ブラジルの日本人街で日系人の方たちが話す日本語はちょっと古めかしいらしい。話す量が少ないので、言語としての進化が止まってしまっているからである。ベルギー人の同僚いわく、カナダのケベックで話されているフランス語もそうらしい。
学校の授業時間は限られているから、「生きた英語」を教えるのは難しいのかもしれないけど、誰かいつ決めたかわからない、「正しさ」を追い求めて、言葉が生き物であるということを考えさせる経験すら奪うのはちょっと違う気がする。


前述のセミナーの中で、別のアメリカ人講師の方がおっしゃっていた言葉が勇気づけられるものなので、この言葉で今日のブログを終わりにしたい。

「コミュニケーションは双方向なもの。会話をする場合は、相手を尊重し、話していることを理解し、答える責任がある。だから、英語が話せない、というのを気に病みすぎる必要はない。とにかく話して、コミュニケーションをとろうとすることが大事なのではないでしょうか」

何かを伝えて、何かを生み出すコミュニケーションとは双方向なもので、一方的にうわーーーーっと言って終わるものじゃない。これ、日本語と英語だけの問題じゃないなあ、と思った。

2013-07-01

Pride Parade for LGBT in NYC

先日、ニューヨークではプライドパレードが行われた。
プライドとは、LGBTと呼ばれるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人たちが差別をなくすことや、同性婚などのさまざまな権利を得るための活動で、その一環として、1970年からパレードを始めたそうだ。ニューヨーク発の活動で、今では世界各地で同じようなイベントが行われている。「ゲイプライドパレード」と書いてあるサイトもあるけど、対象はゲイだけではないので、このブログではプライドパレードと書くことにした。
詳しくはこちらのサイトをどうぞ。

About (NYC Pride)

わたしはこのパレードにどうしても行ってみたかった。
どのくらいの規模のイベントなのか、マイノリティの人たちがどのようにして差別撤廃を訴えるのか、とにかく見てみたいじゃん!

パレード開始直前に、スタート地点の5Aveと36St近辺に着いた。




























これは5Ave。出番を待つバイク軍団。




























5Aveがパレード用の道なので、近くのStreetにはこういう出番を待つ人や車が待機。





























議員提供の車があるあたりがアメリカというか。すごい。

そして12時すぎ、パレードが開始!!




























こういう山車ならぬ、こてこての車の上に人やDJが乗っていて、爆音で音楽を流しながら周囲の人たちも一緒に歌ったり踊ったりしている。
これは爆音で音楽をならす不良の車の最終形態なのでは・・・・!?
たまに車や行進している人からノベルティが投げられたりして、こぞって手を伸ばす沿道の人々。



























沿道はすごい人である。




























パレードは5Aveをずーっと南下した後、プライドパレード発祥の地、Christopher Streetに向かう。細い道で車とパレードが交互に進むので、ところどころでパレードは止まるんだけど、止まるとそれだけ長く沿道の人たちはそのチームと一緒に踊れるので「移動クラブ」状態である。これはこれでアリで、楽しい。

そして!お祭りの中、ついに発見してしまった!



























Gay street!!

Christopher Streetにつながっている小さな道路だった。よく街頭でこの道の写真が売られているのを見ていたので、感動。
ちなみにWiki先生によると、昔の地主さんからとった名前だそうで、別にゲイの人たちを意識つけつけられたわけではない、とのことである。
しかし、周囲には7色の旗がいっぱい掲げられていたり、聖地っぽさを感じさせる。

Gay Street(Wikipedia)



封鎖されている道。むこうに見えるのはパレード。
警察のみなさんはパレードを通したり、車を通したりと忙しそうである。お疲れ様です。



























パレード終点。衣装がかっこいいサンバ軍団。こちらもお疲れ様でした。

きっとこれまで差別や偏見や、つらい経験をされてきた方たちが、明るく、周りを楽しくさせるパフォーマンスで自らの主張を展開する方法は、ものすごーく軽く言うと、「楽しそうにしているからあっちに加わらなきゃ損!」という感情を与えられる。心の中にあるいろんな感情を押し込めているかどうかはわからないけれど、踊っている人、行進している人たちは、みんなにこにこしていて、さあ一緒にどうぞ!というオープンな雰囲気は自由の国なんだなあということを再確認させられる。

○○反対!と声を上げるアプローチのデモ行進とは全然違う。どちらかと言うと、日本の地方の夏祭りを思わせるとにかく楽しい、本当に「お祭り」であった。

終点近くの沿道でパレードを眺めていたら、行進していたブラスバンドのおばさんが近づいてきて、これをあげる、とわたしたち夫婦に渡してくれたのはハート型のガラスだった。




























「I believe love」

渡す瞬間、おばさんはそんなことをおっしゃっていた。
広くいろんな人に愛という名の「想像力」だったり、「許容」だったりが広がることによって、世界が平等に、そして平和になるのかもしれないなあと思った。
そして、その世界を実現するには、楽しい時間をみんなで共有するのは結構近道なのかもしれない。

ブログ、お引越ししました。

ココログから引っ越してきました。

はてなと悩んだんだけど、わたくしGoogleラブなので、大して比較検討もせずにBloggerにしました。 引っ越す理由は2つ。

1つは記事を投稿するのに改行が勝手に変なところに入ったり、編集しなおしても直らなかったり、というので、文章が書きあがったあとにレイアウト修正に結構時間がかかるのがストレスでした。
2つ目は昨日から適用されたトップ画面の一番上にでかでかと入る楽天の広告。デザインもへったくれもないという場所にどかーんと入って、すごく嫌だったので、もう乗り換えちゃうことにしました。 ココログのアクセス解析機能は気に入ってたんだけど、Google Analyticsで上位互換できるし。
万が一、同じことをやられる方がいたら参考になるかなと思い、移行の仕方のメモも書いておきます。(2)が鍵です。

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(1)ココログで記事をエクスポート
「ブログの管理」>「記事の読み込み/書き出し」>「書き出し」で記事をテキストファイルでダウンロード。

(2)テキストファイルをBlogger対応のフォーマット(xml)に変換

こちらのリンクで変換できます。
  http://movabletype2blogger.appspot.com/

(3)Bloggerで記事をインポート
先ほどできたxmlファイルをBloggerの「設定」>「その他」>「ブログをインポート」で読み込む。

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わーい移行できたできた!
・・・・と、ふとここでココログのページを見たら、ネックだった楽天の広告が見えなくなっている。

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どういうことなの・・・・・・・・

いや、しかし、やっぱりこういう対応とかも不安定だし、Bloggerだったら全世界にユーザーがいるのでボリュームメリットみたいなものがあるだろうと踏んで、やっぱりBloggerを使うことにします!!

新しいアドレスはこちらです。
usa in wonderland
http://usa-in-wonderland.blogspot.com/
※超どうでもいいですが、うちのブログのタイトル、「うさ・いん・わんだーらんど」って読むのです。「ゆーえすえー」じゃないんです。

画像ファイルがココログのサーバーにアップされているのでココログは消さずにいきますが、新しい記事はこちら、Bloggerの方に書いて行きます。


また、移行に伴って、表示がおかしくなっているところがあるかもしれません。もし発見された場合は教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします!