2013-07-02

日本の(英語)教育のいいところを考えてみる

「ここが変だよ、日本の英語教育!」と言わんばかりのブログを、taichinoさんが書いてくれていた。

[アメリカ日記14] 僕が英語話せないのは日本の教育のせい(taichino.com)

うわーーーめっちゃ共感するーーー!と拍手を送りたい気分だったのであるが、どうやら「全部学校教育のせいにするんじゃない!」という意見があるようなので、今日のわたしのブログでは、英語習得に関して日本の教育が優れているところを考えてみたい。
(※余談だけど、taichinoさんはわたしがニューヨークに来てから、社外の人で初めて知り合った日本人の方である。我が家と境遇が似ていて、ランチをしたときには話が尽きなかったーーー)

ちょっと前までわたしはニューヨーク市がやっている無料英会話コースの一番上のクラスに通っていた。ちなみにこのクラス分けの前には筆記試験はなく、会話のテストだけだったので、「会話ができる」と判断された人がこのクラスに来ている。無料コースなので、来ている人の層はtaichinoさんが行かれていたコロンビアのコースとは違うと思うけど、さまざまな国の人たちと比べて、日本の教育のここはすごいんじゃない?と思うところを書きたい。
ちなみにご参考までに、わたしの英語力はこんなかんじである。→『TOEIC900点の世界(一例)』

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(1)スペリング・語彙力が強い
メキシコ人の子が、「ファミリーってどういうスペルだっけ?」と聞いてきたときはちょっとびっくりした。多分日本人で中高と英語をきちんと勉強していた人で、familyのスペルが書けない人はほとんどいないと思う。これはこの人だけの問題なのかな・・・・と思ったんだけど、クラスの中の中南米の人たちは喋れてもスペルが苦手な人が多かったので、逆に考えると日本の教育はすごいのかもしれない。
あと、これは英語に限った話ではなく、教育や社会全体としての話であるが、「narcissism」を「それは何?」と聞かれたときに、知識を必要とする語彙も日本人は多く持っているのかもなと感じた。
カタカナ語は弊害もあるけど、たくさんの英語から輸入された言葉や概念によって日本人の知識や思考能力は底上げされていると思う。


(2)文法もやたら強い
あるとき、「hardlyは形容詞か、副詞か?」という問題を先生が出した。
間違えようがないでしょう!と思ったんだけど、なんとクラスでは副詞は少数派。わたしを含めてセネガル人、中国人、ブラジル人の4人のみ。残りの中南米組、ドミニカやメキシコ、アルバニア、南アフリカから来た10人くらいの人たちは形容詞と答えたのである。
形容詞、副詞、という文章を形成する概念をきちんと理解しているかどうかは英語教育だけではなく、母国語も含めた教育レベルの問題もあるかもしれない。先生がかなり丁寧に説明しても、副詞という概念を理解するのに苦しんでいる人が多かった。
他にもびっくりしたのは、I, My, Me, Mineみたいな主格、所有格、目的格、所有代名詞がごっちゃになる人がいたこと。I gave her itみたいな文章の「her」が「she」になっちゃたりするのである。これも日本人だとあまりいないのではないだろうか。


(3)学ぶことに対してまじめ
これも英語教育に限らずの項目だけど、わたしが通っていたクラスでは、言われた宿題やってこないとか当たり前、勉強に来ているのにノートも持ってこない人とかいるのである。
さらに、授業の最中に先生が「今は人の意見をちゃんと聞きましょう」って言ってても話し出したり質問したりする人もいれば、無料だからといって途中でレッスンに来なくなる人もいる。かと思えば「早く上手になる方法はなんだ」とか言い出す。なんだろうこの違和感・・・・自己啓発本を読みまくって近道を探しながら、毎日夜更かしして寝坊してずーっと眠い状態で何もやる気がおきない、みたいな感じである。
日本の情操教育ってなんでも一律、従順さを鍛えられているようで気持ち悪いところもあるけど、短時間で何かを学習するのに適した集中の方法を教えているのかもしれないなあ、と感じた。

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(1)、(2)を見ると、学校の英語教育では英語を学問として「勉強」している気がする。
どちらかというと算数より数学というか。普段の生活に難しいことは必要なくって、加減乗除ができればそれで十分である。それなのに、足し算引き算よりも、ヘロンの公式とか三角関数の定義(証明とか手を動かすものではなく、ひたすら定義)を一生懸命勉強している感じ。材料としてヘロンの公式は知っているけど、使い方がわからないというか。・・・・あれ、なんか数学の話になってしまった。
わたしが言いたいのは、英語を普段の生活で使うレベルで使う、つまり話すとか簡単な文章を書く、ということは、加減乗除に近いのではないだろうか、ということである。話すときには「この単語のスペルはxxだ!」とか「これは副詞だ!」なーんて考える必要はない。もっと足し算、引き算レベルの簡単な何かを瞬時にやる必要があるのである。瞬時にできるようになるには場数、繰り返ししかないような気がしている。
で、場数を踏むとか繰り返しとかは日本の教育の(3)が優れているような気がするんだけど、今のところ(1)(2)は「日常で英語を使う」というところにフォーカスを当てていないので、さあ喋らなきゃ!となったときに困ってしまう。

他の国の人たちの何かを学ぶ姿勢って全然ちがう。わからなくても手を挙げてしゃべろうとするし、質問もめちゃくちゃする。文法めためただし、言ってることを多分きちんとしたスペルで書けないけど自分の考えは表現しようとするし、副詞を形容詞と思っていようとも、それを正当化するために議論はいとわず、言葉を重ねる。
そりゃー圧倒的に喋れるわけである。日本人には、わからないときは手を挙げない、文法めためただったら恥ずかしくて喋れないって人が多いもん。

以前参加した異文化コミュニケーションに関するセミナーの中で、日本人と長く仕事をされてきたという講師のアメリカ人の方がこんな風に日本人の英語を評していた。
「日本は教育レベルが高く、小中高とすごく勉強をしている。だから書かれている英語は理解できる。でも、残念ながら日本の英語教師は英語がしゃべれない人が多く、書く力と比較した場合、話す力、聞く力は弱い」
ちなみに大学は小中高までの勉強で燃え尽きていて、4年間のお休みみたいなものだ、とも言っていたけどね・・・・

ふと、日本の英語教育は何を目指しているんだろう?と思って調べてみた。
今、高校には「英語会話」という教科があるらしい。文部科学省の「新学習指導要領」によると、英語会話の目標、内容はこんなことだそうだ。

高等学校学習指導要領(文部科学省)


1 目標英語を通じて,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成するとともに,情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりする能力を更に伸ばし,社会生活において活用できるようにする。 

2 内容

(1) 生徒が情報や考えなどを理解したり伝えたりすることを実践するように具体的な言語の使用場面を設定して,次のような言語活動を英語で行う。
  • ア 相手の話を聞いて理解するとともに,場面や目的に応じて適切に応答する。 
  • イ 関心のあることについて相手に質問したり,相手の質問に答えたりする。 
  • ウ 聞いたり読んだりしたこと,学んだことや経験したことに基づき,情報や考えなどを場面や目的に応じて適切に伝える。 
  • エ 海外での生活に必要な基本的な表現を使って,会話する。

(2) (1)に示す言語活動を効果的に行うために,次のような事項について指導するよう配慮するものとする。 
  • ア リズムやイントネーションなどの英語の音声的な特徴,話す速度,声の大きさなどに注意しながら聞いたり話したりすること。 
  • イ 繰り返しを求めたり,言い換えたりするときなどに必要となる表現を活用すること。 
  • ウ ジェスチャーなどの非言語的なコミュニケーション手段の役割を理解し,場面や目的に応じて適切に用いること。

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これだけだとあんまりよくわからなかった。確かにこれができたらしゃべれそうな気はするけど、逆にすべてをひろくカバーしすぎててよくわからない。
実は指導要領を引っ張り出してきて、これじゃだめなんじゃないのーーとかコメントしようかと思っていたのだけど、うん、まあ、玉虫色ですな・・・・
しかしこの、目標のあいまいさって、日本人の多くの人が「英語できないな・・・・」と感じる根幹にある気がする。
どうなれば目標達成なのか。ペラペラ?じゃあペラペラって何?ネイティブみたいに喋ること?発音は?・・・・と、よくよく考えてみると、達成レベルはよくわからないのである。

指導要領と言えば、アメリカ人の同僚が以前日本で英語を教えていたときのエピソードを教えてくれた。
彼女は小学校に行って英語を教える仕事をしていたそうなのだが、ある日、生徒のひとりが「Here you are」と言って物を渡してきたのに対して、「Here you areは丁寧すぎるから、Here you goのがいいよ」とネイティブらしい指摘をしたそうだ。
そのあと彼女は日本人の先生に呼ばれ、「指導要領ではHere you areになっているので、勝手に教えられては困ります」と釘を刺されたらしい。ネイティブが自然な言い方を教えているのに、おかしいと言われることが納得できなかった、と彼女は苦笑しながら話してくれた。

言語は生き物、とはよく言われる。ブラジルの日本人街で日系人の方たちが話す日本語はちょっと古めかしいらしい。話す量が少ないので、言語としての進化が止まってしまっているからである。ベルギー人の同僚いわく、カナダのケベックで話されているフランス語もそうらしい。
学校の授業時間は限られているから、「生きた英語」を教えるのは難しいのかもしれないけど、誰かいつ決めたかわからない、「正しさ」を追い求めて、言葉が生き物であるということを考えさせる経験すら奪うのはちょっと違う気がする。


前述のセミナーの中で、別のアメリカ人講師の方がおっしゃっていた言葉が勇気づけられるものなので、この言葉で今日のブログを終わりにしたい。

「コミュニケーションは双方向なもの。会話をする場合は、相手を尊重し、話していることを理解し、答える責任がある。だから、英語が話せない、というのを気に病みすぎる必要はない。とにかく話して、コミュニケーションをとろうとすることが大事なのではないでしょうか」

何かを伝えて、何かを生み出すコミュニケーションとは双方向なもので、一方的にうわーーーーっと言って終わるものじゃない。これ、日本語と英語だけの問題じゃないなあ、と思った。

2013-07-01

Pride Parade for LGBT in NYC

先日、ニューヨークではプライドパレードが行われた。
プライドとは、LGBTと呼ばれるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人たちが差別をなくすことや、同性婚などのさまざまな権利を得るための活動で、その一環として、1970年からパレードを始めたそうだ。ニューヨーク発の活動で、今では世界各地で同じようなイベントが行われている。「ゲイプライドパレード」と書いてあるサイトもあるけど、対象はゲイだけではないので、このブログではプライドパレードと書くことにした。
詳しくはこちらのサイトをどうぞ。

About (NYC Pride)

わたしはこのパレードにどうしても行ってみたかった。
どのくらいの規模のイベントなのか、マイノリティの人たちがどのようにして差別撤廃を訴えるのか、とにかく見てみたいじゃん!

パレード開始直前に、スタート地点の5Aveと36St近辺に着いた。




























これは5Ave。出番を待つバイク軍団。




























5Aveがパレード用の道なので、近くのStreetにはこういう出番を待つ人や車が待機。





























議員提供の車があるあたりがアメリカというか。すごい。

そして12時すぎ、パレードが開始!!




























こういう山車ならぬ、こてこての車の上に人やDJが乗っていて、爆音で音楽を流しながら周囲の人たちも一緒に歌ったり踊ったりしている。
これは爆音で音楽をならす不良の車の最終形態なのでは・・・・!?
たまに車や行進している人からノベルティが投げられたりして、こぞって手を伸ばす沿道の人々。



























沿道はすごい人である。




























パレードは5Aveをずーっと南下した後、プライドパレード発祥の地、Christopher Streetに向かう。細い道で車とパレードが交互に進むので、ところどころでパレードは止まるんだけど、止まるとそれだけ長く沿道の人たちはそのチームと一緒に踊れるので「移動クラブ」状態である。これはこれでアリで、楽しい。

そして!お祭りの中、ついに発見してしまった!



























Gay street!!

Christopher Streetにつながっている小さな道路だった。よく街頭でこの道の写真が売られているのを見ていたので、感動。
ちなみにWiki先生によると、昔の地主さんからとった名前だそうで、別にゲイの人たちを意識つけつけられたわけではない、とのことである。
しかし、周囲には7色の旗がいっぱい掲げられていたり、聖地っぽさを感じさせる。

Gay Street(Wikipedia)



封鎖されている道。むこうに見えるのはパレード。
警察のみなさんはパレードを通したり、車を通したりと忙しそうである。お疲れ様です。



























パレード終点。衣装がかっこいいサンバ軍団。こちらもお疲れ様でした。

きっとこれまで差別や偏見や、つらい経験をされてきた方たちが、明るく、周りを楽しくさせるパフォーマンスで自らの主張を展開する方法は、ものすごーく軽く言うと、「楽しそうにしているからあっちに加わらなきゃ損!」という感情を与えられる。心の中にあるいろんな感情を押し込めているかどうかはわからないけれど、踊っている人、行進している人たちは、みんなにこにこしていて、さあ一緒にどうぞ!というオープンな雰囲気は自由の国なんだなあということを再確認させられる。

○○反対!と声を上げるアプローチのデモ行進とは全然違う。どちらかと言うと、日本の地方の夏祭りを思わせるとにかく楽しい、本当に「お祭り」であった。

終点近くの沿道でパレードを眺めていたら、行進していたブラスバンドのおばさんが近づいてきて、これをあげる、とわたしたち夫婦に渡してくれたのはハート型のガラスだった。




























「I believe love」

渡す瞬間、おばさんはそんなことをおっしゃっていた。
広くいろんな人に愛という名の「想像力」だったり、「許容」だったりが広がることによって、世界が平等に、そして平和になるのかもしれないなあと思った。
そして、その世界を実現するには、楽しい時間をみんなで共有するのは結構近道なのかもしれない。

ブログ、お引越ししました。

ココログから引っ越してきました。

はてなと悩んだんだけど、わたくしGoogleラブなので、大して比較検討もせずにBloggerにしました。 引っ越す理由は2つ。

1つは記事を投稿するのに改行が勝手に変なところに入ったり、編集しなおしても直らなかったり、というので、文章が書きあがったあとにレイアウト修正に結構時間がかかるのがストレスでした。
2つ目は昨日から適用されたトップ画面の一番上にでかでかと入る楽天の広告。デザインもへったくれもないという場所にどかーんと入って、すごく嫌だったので、もう乗り換えちゃうことにしました。 ココログのアクセス解析機能は気に入ってたんだけど、Google Analyticsで上位互換できるし。
万が一、同じことをやられる方がいたら参考になるかなと思い、移行の仕方のメモも書いておきます。(2)が鍵です。

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(1)ココログで記事をエクスポート
「ブログの管理」>「記事の読み込み/書き出し」>「書き出し」で記事をテキストファイルでダウンロード。

(2)テキストファイルをBlogger対応のフォーマット(xml)に変換

こちらのリンクで変換できます。
  http://movabletype2blogger.appspot.com/

(3)Bloggerで記事をインポート
先ほどできたxmlファイルをBloggerの「設定」>「その他」>「ブログをインポート」で読み込む。

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わーい移行できたできた!
・・・・と、ふとここでココログのページを見たら、ネックだった楽天の広告が見えなくなっている。

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どういうことなの・・・・・・・・

いや、しかし、やっぱりこういう対応とかも不安定だし、Bloggerだったら全世界にユーザーがいるのでボリュームメリットみたいなものがあるだろうと踏んで、やっぱりBloggerを使うことにします!!

新しいアドレスはこちらです。
usa in wonderland
http://usa-in-wonderland.blogspot.com/
※超どうでもいいですが、うちのブログのタイトル、「うさ・いん・わんだーらんど」って読むのです。「ゆーえすえー」じゃないんです。

画像ファイルがココログのサーバーにアップされているのでココログは消さずにいきますが、新しい記事はこちら、Bloggerの方に書いて行きます。


また、移行に伴って、表示がおかしくなっているところがあるかもしれません。もし発見された場合は教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします! 

2013-06-29

わたしは友達が少ない

以前、20代後半の後輩女子がこんなことを言っていた。

「この年齢になって仲のいい友達を作るのって難しいじゃないですかー」


わたしは30近辺でもこれからずっとつきあっていきたいなあ、という友達ができた経験があるので、年齢関係あるのかなー?と疑問に思った。

しかし、最近ふと、「あれ?わたしニューヨーク来てから友達できた?」と自問してみた。
ニューヨークに来てから知り合って、仲良くなった日本人って、ほぼ皆無に等しい。
アメリカ人とかスペイン人、メキシコ人にはわずかながら仲良くなった人がいるのだが。



・・・・・・・・

わたし友達少ない・・・・?



なんでだろうと思ってちょっと考察してみた。


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(1)同級生はまずいない

わたしは地方のマニアックな学校出身なので、同期卒業は数百人単位で、しかも同じ学科となると数十人である。普通に考えてニューヨークに来るやつそんなにいないだろう。
海外在留邦人数調査統計によると、平成24年(2012年)のニューヨークの長期滞在者は42,375人。(ソース
長期滞在する人が多いであろう年代は20歳から60歳と考えられるが、この年代の日本人の人口は約6549万人だそうなので、単純に割り算すると0.065%。(ソース)
これは、日本人の20歳から60歳の人のうち、1538人に1人がニューヨークへ行く、という確率である。学年1万人とかの学校だったらそりゃあ派閥が作れる程度の人数がいるだろう。さらに上位の学校だとこの確率が高まることが想像される。
最近気づいたんだけど、大きな大学の強みはこれかもしれない。ははははは、地元愛とチャレンジ精神のなさのおかげで、気づくの10年ちょっと遅れたわーーーーー。
さらに、同じ地方出身の人もあまり見かけない。単純に人口の問題である。
おお、これがよく言われる、コネなし、学歴なし、って状態か?


(2)趣味が基本的に個人プレイ系

わたしの趣味は本を読むこと、スーパーや食料品店、古着屋さんめぐり、散歩、あたりである。
なんだこの個人プレイ満載な感じ。リア充からは程遠い。そしてこういうネットスラングをニューヨーク在住を前面に出しているブログで自然に使っちゃうあたりもやばい。
さらに問題なのが、お酒がそんなに飲めなくて、お酒を飲むこと自体に価値を見出せず、「飲みに行こうぜ!!」とならないというところである。
ああ、そうか、ライブに人を誘って一緒に行く、という手があるか。しかし・・・・


(3)夫がいるので新規開拓の必要性が少ない
そうなのである。夫とはとことん趣味嗜好が合うし、勝手知ったる仲なので、何かをするために友達を作る必要がないのである。
ライブもご飯も一緒に行けばいいし。家でごろごろしてても一緒にいる人がいるかいないかでさみしさを感じるかどうかが違う気がする。
さみしさとは友達作りの大きなモチベーションである。

そこで、勝手知ったる夫に、「友達ができてなくて、だめな気がする・・・・」と心境を吐露してみた。
もちろん本人も友達が少ない夫は苦笑いというか、なんとも言えない微妙な顔をしてこう言ったのである。

「じゃあ日本では何人友達いたの?」
「えーっと・・・・1,2,3・・・・」



(4)友達が少ないのは今始まったことではなかった

・・・・・・・・ニューヨークで友達が少ない、というのは気のせいなのかもしれない。


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・・・・うむ。

こんな感じで、自らを見つめたりだらだらしながら毎日を過ごしているわけだが、

「○○会(県人会とか、大学会とか、年代会とか色々)で飲みに行ったんだけどー」
「大学の同級生とBBQしたんだー」
「週末友達とめっちゃ遊んでるー」


とか聞いていると、やっぱりどの経験もない自分がダメ人間な気がしてくるのである。
本当に、こっちの社会の日本人コミュニティーに疎い。日本人なら広く知っている情報を知らない。レストランとかお店とか、そういえば美術館に安く入る方法も知らなった。まあいいか、いや、よくないだろう・・・・みたいな気持ちが気持ちが拮抗する。


ある日、これじゃいかん!という気持ちが高まっているときに、○○会に誘われた。
ちょっと悩んだけど、緊張を押しのけて行くことにした。
飲み会の場所はそれはそれはおしゃれな場所で、ややクラブっぽい作りにくらくらする。
飲み会が始まってみたら、それこそ大学のテニスサークルのようなノリ。(※すみません地方理系女のレンズを通してみた東京のゆがんだイメージです)嬌声、やたら大きな笑い声、こんな言葉はないけど自虐と他虐が入り混じる要点がつかめない会話があちこちで繰り広げられたかと思ったらものすごく遠くからカットイン。案の定ぽかーーーんとながめているしかなかったのである。


・・・・・・・・ああ、やっぱりわたしダメ人間。


しかし、行ってみてよかった。わたしはこういう集まりで『友達』を作るって無理なんだなあ、と悟ることができた。
そして、そんな無理をするなら、今のままでいいじゃん、友達少ないですがなにか?という境地に達したのである。すごい進歩よ、わたし!!
夫には、「友達百人できるとでも思ってたの?」と失笑される始末である。冷静だな・・・・



ちなみに冒頭の「この年齢になると友達ができない」と言った彼女のせりふは、続いていて、

「ニューヨークに来て、すごいたくさん友達ができたんです☆」

で終わったことを書き添えて、筆をおきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


2013-06-25

メンターって必要か?

先日、米国暦が20年以上という日本人男性が、


「アメリカで生きて来られたのは、若い頃に出会ったメンター2人のおかげ。だから、皆さん(駐在員の皆さん、だったかも?)もメンターを見つけることをおすすめする」

と語っていらした。

なんかピンとこないなあと思ったのは、以前も紹介した、この本のせいだった。




Lean In: Women, Work, and the Will to Lead(Sheryl Sandberg)

以前のエントリーはこちら。
「Lean Inがめちゃくちゃおもしろい」


「メンター」についてちょっと調べてみるかーとぐぐって出てきたこの記事も、メンターバンザイ!で、他力本願まではいかないけど、なんとももやっとした。


自分のよき師“メンター”を見つけよう
(Allabout)

メンターは、あなたのよき指導者・助言者です。メンターとの出会いは、あなたのキャリアをより充実したものにしてくれるでしょう。ガイドの経験などから、メンターを見つける方法をお教えします。

な、なんか「指導してもらって当たり前」「見つけたらこっちのもん」みたいな雰囲気を感じるのは考えすぎだろうか。

シェリル・サンドバーグさんは、さすがに有名人なだけあって、講演会の終わりに、「メンターになってください!」という人に取り囲まれたりするらしい。たしかにメンターやスポンサーは働く上で大事だけど、女性にとってはメンターを探すのは難しいので、その労力がちょっと違う方に行っているんじゃないか、メンターって言葉はどうでもよくて、大事なのは中身でしょう、と指摘している。
メンター探しは、まるで白馬の王子様を待っているようだ。王子様が来たら出世もできて、重要な仕事ができるようになると信じているんじゃないだろうか、とも言っていて、なんか条件を並べ立てる婚活みたいっすね・・・・とぽかーんとするわたし。


シェリルさんには親身になって相談に乗っていた女性がいたそうだ。「メンター」という言葉は使っていなかったけど、シェリルさんは彼女のメンターを自負していたので、その女性がある日「メンターがいたことがない」と発言したときには本当にびっくりして、じゃああなたにとってメンターって何?と聞いたそうな。

I asked what a mentor meant to her. She explained that it would be someone she spoke to for at least an hour every week. I smiled, thinking.  That's not a mentor -- that's a therapist.

メンターじゃなくてセラピストって!

上記のリンクにも、メンターは上位の人がいい、みたいなことが書いてあったが、64%のVice presidentレベルの男性が、女性とふたりでミーティングをするのは嫌だと考えている、という調査結果を挙げて、女性がメンターを得ることの難しさに言及。
これじゃ現在の男性ばかりがえらくなっているという社会では女性に不利だから、インフォーマルな情報交換の機会を女性にも平等に与えることの重要性を訴えている。ある企業のえらい人は、女性と2人だとあらぬ噂を立てられるのもあるので、社員と夜食事に行くのは避けて、ランチに限定しているとのことだ。確かにこれなら噂も立てられない。
そういえば、日本で、その当時の上司と夜食事に行くとき、彼は「2人で会社の近くだと噂を立てられるから」とかなり警戒していたことを思い出した。くだらないことだけど、出世(とリンクした人生)が本気でかかっている男の人たちにとってみたら、結構重要な問題なのだろう。


で、ここまで書いてみて思ったんだけど、メンターってそんなに必要なのかなあ。
友達や、仲のいい新旧同僚がある程度いれば、持ちつ持たれつで、色々乗り越えられていけるものである。
むしろ、年上の人をメンターにして、「オレの頃は・・・・」って講釈を垂れられるほうがつらいような気がするのだ。あ、これは一部の親も含まれるかもしれない。

シェリルさんも「メンターは見た目よりずっと相互作用するもの」とおっしゃっていた。
なので、やっぱり周りの友達や先輩や後輩とよくしゃべるようにしておけば、それだけで解決!である。
今はTwitterとかFacebookとか、ソーシャルメディアでいろんな方向からアドバイスをもらうこともできるし、離れた友達にもメールやメッセンジャーでいつでもコンタクトがとれるし。
ええ、先週も日本の友達にLINEで「友達ができない」と相談していましたね。ははは。

冒頭の言葉をおっしゃったのはいわゆるエスタブリッシュメント系、堅い仕事の男性だったので、失礼ながら、彼が生きてきた20年前、いわゆる伝統的なオールドボーイズネットワークでは「メンター」をいちいち設定するのはいい方法だったのかもねえ、と遠くを見る目をしてしまう。
そういう前のめりな姿勢より、なんとなく自然なつながりの方が結局長く続くし、相互作用だし、疲れなくていいんじゃないかなあとか発言したらゆとりとか草食系とかののしられるのだろうか。


ところで、この本、ついに日本語版が今週出るようです!



LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲

ちゃんとニュアンスがつかめているかわからないので、日本語版も読みたいなあー。

2013-06-24

『ロングテール』に影響されて電子書籍を作ってみた

ちょっと前にこれまたいまさら感あふれる本を図書館で借りてきて読んだのであった。



ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ新書juice)

ちなみにわたしが読んだ英語版はこちら。

The Long Tail, Revised and Updated Edition: Why the Future of Business is Selling Less of More

いやー。古い。最初に出版されたのが2006年なので、出てきてる例もなかなか懐かしい時代のことである。
ロングテールとは、

インターネットを利用したネット販売などにおいては、膨大なアイテム(商品)を低コストで取り扱うことができるために、ヒット商品の大量販売に依存することなく、ニッチ商品の多品種少量販売によって大きな売り上げ、利益を得ることができるという経済理論。ロングテール効果、ロングテール現象、ロングテール経済、ロングテール市場という形でも使われる。(出典:IT media)

ということで、これまで「ニッチ」とされてきた商品も合わさるとすごい利益になるんだよーということがもっともよく知られている部分ではないだろうか。
インターネットでは「90年代の音楽はよかった」と言われているんだけど、その理由というか、「なんであの頃はCDが売れていたのか」というのをわかりやすく説明してくれている。

この理論はよく取り上げられているからいいとして、わたしが一番感動したのは、上から1万位とか、トップから遠く離れたものでも、ほそぼそながら売り上げはゼロにはならず、売れている、というところ。
へえええええ、これほんとなのかなあ!!どこまでニッチなものが求められているんだろう!と感動。

Amazonの事例を取り上げる中で、いわゆる週末作家の人の話とかも出てきた。
「出版」の敷居がさがっているんだなあということを再確認。また、多くの人はお金のためではなくて、自分の本を読んでもらいたい、という気持ちで出版するのだそうだ。
ためしにKindleストアを見てみると、おそらくアマチュアの人が書いた旅行記とかがいっぱいある。


・・・・これは試してみるしかないのでは?


ということでできました。




ニューヨーク、住んでみた。行ってみた。(佐藤こねほ←誰ですか!ってわたしです)


コンテンツはこちら。

・ニューヨークの食料品店 -輝け!ニューヨークのスーパーマーケット大賞-
・ニューヨークのレストラン -お寿司からハマスまで-
・ニューヨークのマーケット -見るだけタダ!-
・ニューヨークのアプリ -これで迷子知らず?-
・ミニコラム

このブログで継続的に人気のあるスーパー特集に加えて、お気に入りレストラン、マーケット、アプリの情報を入れてみた。誇るほどではないが、書き下ろし満載である。
ちなみにペンネームは夫の趣味です。もちろん本名ではない。

Kindle持ってないし・・・・というあなた。知ってました?KindleってiPhoneやAndroidの無料アプリがあるんですのよ。
アプリストアからKindleと検索するとアプリがでてきますぜ!
今ならこの本は無料なので、是非試しに落としてみてください!

さっき自分でも落としてみたのですが(タダだから)、ちょっと写真の入り方がきれいじゃないところがありますな・・・・今日中にでもちょっと直したいと思います。

ということで、たいした内容ではないですが、たくさんの方に読んでいただけるとうれしいです。
感想もお待ちしてます!


2013-06-18

ニューヨーク地下鉄との終わりなき戦い

今日はニューヨーク地下鉄事件ファイルをお送りしたい。


事件ファイル1-Cash Only事件


ある日、とても遠くに行かなきゃいけなくて、わたしはとてもあせっていた。
運悪く、メトロカードの残高が足りなくて、券売機でチャージをしようとしたら、無情にも、

「Cash Only」


と表示されている。
うおおおおお、現金2ドルしかないよーーーー初乗りに足りないよーーーーーーー
有人カウンターに行って、これでチャージして!とデビットカードと一緒にメトロカードを出したら、

「Cash only!



と断られる。
なんてこったい・・・・・


近くのATMでお金をおろしたところ、さっきキャッシュオンリーって言われた駅よりも近い駅があるのを発見。
そちらの駅からでも行けるということに気づいたので、券売機へダッシュ。
さっきおろしたばっかりの20ドル札を握りしめてメトロカードをチャージしようとしたら、

「Card Only」

と表示されていたのであった。

・・・・・・・・

とりあえず20ドル札をしまって、デビットカードを取り出した。
さらにそのとき、お財布の中に別の20ドル札が入っていることに気づいたのは別の話である。


事件ファイル2-空っぽで走り去る緑の電車


その日もわたしは急いでいた。緑の電車に乗って、マンハッタンを脱出しなければいけなかったのである。
しかし、マンハッタンの真ん中あたりの駅で電車は止まり、
「急病人がいるのでちょっと止まります」
とか放送している。

5分ほどして、
「みなさん、ここで降りてください」
という車内放送が。ええええええええ?急病人で止まったのに、なんで全員をおろすの???

ぞろぞろとホームに出る人々。
あるおばちゃんは、
「おかしいわよ!なんで全員降りなきゃいけないの?絶対何か起きたんだわ・・・・」
とか怪しんでいる。
しばらくして電車のドアは閉まり、そのまま進行方向へ走り去って行ったのであった。

ん?進行方向へ・・・・????

乗せてってよ!!!!


事件ファイル3-青い電車の瞬間移動

ええ、その日も急いでいた。青い電車に乗らなければならない。


ばっちりチャージしたメトロカードでするっと改札を抜ける。ホームに行った瞬間、駅で放送が流れた。

「今日工事なのでE線の電車ありませーーーん

・・・・・・・・
もうホームまで来てしまっているんですけど!!!

駅を出て別の駅に行くのは悔しい。なぜならもう初乗りの2.5ドル払っているから!
仕方ないので路線図を見たところ、逆方向に向かう別の路線に乗って、そこからもう1回乗り換えれば目的地に到着できそうである。
別の路線に乗って少し行った駅で乗り換えを待っていると、存在しないはずのE線の電車がその駅を走っているのである。

な・・・・なぜ?さっき今日はE線ないんじゃないの?と思いながら乗ってみる。
猛スピードで連れていかれた先はどう考えてもE線の駅ではない。日本で行ったら、京浜東北線に乗ったはずなのに、中央線の快速の駅に連れていかれたようなものである。

これはまずい!と思って途中の駅の張り紙を見たところ、
「今日、E線はF線の線路を走るよん」
とかおっしゃっていらっしゃる。この違いは結構大きく、京浜東北線と偽った青い電車が実は中央特快で、中野を出たら国分寺まで行っちゃう感じである。恐ろしい。
・・・・・・・・いや、だったらおとなしく運休にしてください。まじで。

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特に第3の事件はちょいちょい発生するのである。この前もバッテリーパークに行くはずが、ブルックリンに連れていかれるという事案が発生した。


さすがにちょっと対策を考えてみた。


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対策1. お出かけ前に情報収集
ニューヨーク交通局をTwitterでフォローしてみたところ、結構マメにサービス変更についてつぶやいているようだった。また、アプリを出しているので、インストールしてみることにした。

Weekender(iTunes)

問題はこれをわたしがちゃんとチェックするか、というところである。


対策2. 路線図が書かれたiPhoneケースにしてみる
これは常に別のルートを人力(?)で検索するために。オフラインで使える路線図をスマホに入れる、というのもありなんだけど、電池が切れていたら困るし、最近わたしのiPhone4アプリ立ち上がらなかったりするし・・・・ということでケースにしてみたらどうかなあと思っている。
チャイナタウンで5ドル(値切った)で発見したので、早いところ買いに行きたい。


対策3. あきらめる、すべて地下鉄のせいにして遅刻を許す
これが一番でしょう。少しくらいの遅刻は許せる、おおらかな人間になりたいものです。はっはっは。

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今日、アメリカ人の人が、
「日本人と働く時はBe ontime!!
と力説しているのを聞いて微妙な気持ちになったわたしであった。