気になっていた日本映画2本が上映されるとのことなので、ニューヨーク映画祭へ行ってきた。今年で51回目だそうだ。
会場のあるリンカーンセンター近辺は、夜歩くと眺めが壮麗でたのしい。噴水の前で語り合うふたり。うふふ。
まず見たのは『そして父になる』。
映画祭の長い歴史のおかげなのか、ニューヨークという場所のおかげなのか、是枝監督もいらっしゃっての上映会。しかも上映後にQ&Aセッションがあるという。ただの「ご挨拶」じゃすまされないところがさすがである。
これは始まるちょっと前に撮った写真。上映が開始するころには満席だった。意外と日本人少ない。
こちら上映後のQ&Aの様子。
観客からひっきりなしに手が挙がって、たくさんの質問が監督に浴びせられる。
ふたつの家族の違いを極端に出すためにキャストを選んだとか、
キャストは声を重視したとか、
子供を撮るときには台本をあらかじめ渡さないでその場でセリフを伝えて話してもらうとか(これは『誰も知らない』のときにも言ってたかも)、
テイクはあんまり長くとらないけど、この映画の中で一番テイクを撮ったのはお母さんとケイタくんが電車の中で話しているシーンで、テイクに時間がかかったので電車が駅に止まって、真っ暗な中で話すふたりという演出ができたところがよかったとか、
そんな話をされていた。作り手に直接質問して答えがもらえるってすごいなあ。
話の内容は、ものすごく簡単に言うと、田舎でほったらかし子育てをする家族と、都会で子供を私立小学校に入れてがっつりしつける子育てをする家族の対比で、ワーカホリックであまり子供と関われない父親が田舎の子育て家族との交流を通して自分の生き方、子供との関わり方を考えていくというお話。
わたしは自分の育ちが似ているので、田舎側の家族の形を大絶賛派なのだけど(というかそれ以外できる気がしない)、抵抗を覚える人の気持ちも容易に想像できる。福山さんの妻はひとりでいろいろ抱え込んでいて、わたしは見ていて気の毒になった。でもあれがあるべき「良妻賢母」と言う人もいそうだし、この辺は意見が大きく分かれるところだろう。
あと、わたしは真木よう子さんの演技が肝っ玉母さん的で本当にいいなあと思ったのだけど、夫は「きれいすぎてあの役には浮いてる」と言っていた。
ところで、どう考えても福山さんのサービスシーンだよね!というところがあって思わず笑ってしまい、隣にいた夫に話しかけたところ、彼は号泣していたので後で怒られたのであった。わたし…もっと素直に映画を見るべきである。この映画の英語のタイトルは『Like father, Like son』。日本語と英語でタイトルの対象にしている時間が違うのかなあと邪推。是枝監督は「ふたつの家族の交流を通して、主人公の父としての成長を描きたかった」、とおっしゃっていたので、日本語のタイトルはそれをそのまま表しているのだけど、英語のタイトルは取り違えられた実子ではない子供との時間に焦点を当てているような気がする。
はい、それでは次。『風立ちぬ』。英語のタイトルは『The Wind Rises』でそのまんまである。
こちらは話題作だからか2回上映があったのであるが、わたしたちは2回目に行った。
話の内容は言わずもがな、飛行機を作りたいという熱意に駆られた主人公の半生…と書くとさすがにちょっとあっさりしすぎかもしれない。
『そして父になる』よりも観客の年齢層が若く、日本人も多い気がした。
このパンフレットの紹介文がおもしろい。
The Wind Rises is something wondrous - a pacifist film with a protagonist who understands that his country is headed for disaster but pursue his dream. It's also a great and astonishingly beautiful work - and quite a controversial one in Japan - about the fragility of humanity and the pursuit of love.主人公が抱える矛盾を通して平和を描いているとか、人間の弱さと愛の追求について美しく描かれているところが日本では賛否両論だ、という解説をしている。
主人公は飛行機を作ること以外頭にないような人で、戦争に向かうという状況の中でも淡々と自分の夢を追いかけている姿はかっこいい。主人公にあまり感情の起伏が見られないためか、周囲の人物の喜怒哀楽の表情が際立つというか、みんないい味を出している。
しかし…わたしは主人公の演技にあまりにも起伏がないような気がしてしまって、子供から大人になったシーンの第一声からずーーっと違和感が消えず、なんだか最後までいまひとつ話に集中できなかったのであった。よく言えば朴訥、素朴な感じなので、そういう演出だったのかもしれないけど。
この感想はあまり理解してもらえなかったのだが、わたしの敬愛する沢木耕太郎さんが同じことを言っている、ということを教えてもらった。
「風立ちぬ」諦めきれない快感の続き(朝日新聞)
あと、外国の人たちがイタリア語、ドイツ語を話しているのに、突然日本語を話し出すという演出はちょっとびっくりした。あれはずっと外国語で喋ってもらっちゃだめだったのかなー。…と細かいところをぐちぐち言っていますが、隣の夫はやはり号泣していた。
前述の通り詩的で、場面がころころ変わるので、その場面の推移や、ひとつひとつの言葉をじっくり見られたら違う感想を抱きそうである。もう1回集中してじっくり見たいなと思った。
ところでポール・バレリーの詩と言われてあとで思い出した。バレリーが創作活動をして亡くなったフランスのSèteに昔行ったことがある。
海辺の墓地。青い海といい、思い思いの形の墓標が立ち並ぶ姿といい、美しい。
潮騒だけが周囲を支配しているような静かでいい場所だったなあ。また行きたい。行きたい場所が多くて本当に困る。
ところでこの画像を探そうとして、昔の旅行の写真が全部外付けハードディスクの中に入っていることに気づいた。
そのハードディスクをつないだら、PCに認識されない…
ということで、これはかろうじてオンラインに残っていた写真である。
ほんと、アナログというか目に見えるオフラインなものが信用できない時代になってきました。
うう、どうしよう…
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(追記)
『風立ちぬ』の解説でおもしろいものを教えてもらった。
町山智浩が映画『風立ちぬ』を語る(YouTube)
すみません…理解できなくてすみません…
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