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「ふつう」−−わたしにとって、会話の中で出てくると、一気にもやっとする単語だ。「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクション」とアインシュタインも言っているし、しょせん「ふつう」とはこれまでの自分の経験や考え方から導き出されたもので、他人にとって「ふつう」であるかは断言できない。
なんてえらそうに言っているが、『いるいないみらい』を読んだあと、わたしの脳裏に浮かんだのは、この短編集には「ふつう」じゃない家族ばかり出てきたなあ、という感想だった。
夫の収入が自分より少なく、子どもがほしいかわからない女性。将来の子どもを想定して郊外の3LDKのマンションを買ったけど、男性不妊ということがわかった男性。養子として高齢の夫婦に引き取られた経緯を持ち、子どもが大嫌いな女性。幼い子どもを亡くし、妻とも離婚してタワマンにひとりで暮らす、もうすぐ定年の男性。18歳まで乳児院で育ち、子どもを育てる自信がない女性。
どの人物も、「ふつう」ではないことに違和感や葛藤を抱いている。わたしも含め、「ふつう」じゃない状態を経験したことがある人なら、わかる!と言いたくなるような描写がたくさんあった。
マンションを買うとき、いずれは子どもができるのでしょうから、と薦められるままに3LDKを選んだ。(略) 夫婦に子どもが二人。あらかじめそういう家族像をモデルに設計されているのだ。今、子どもができるかできないかの瀬戸際にいる僕には、それが正しい家族像だと強制されているような気がして息苦しかった。
マーケティングでも、社会保障の制度でも、効率が大事なので「ふつう」の型を設定する。その「ふつう」から外れているとき、多くの人はプレッシャーを感じたり、疎外感を覚えたりする。
しかし、本作の主人公たちはもやもやしているだけではない。「ふつう」ではないけれど、過去のつらい経験に自分なりの落とし所を見つけたり、大切なパートナーを得た幸せを噛み締めたりしている。葛藤の先にありたい将来を見出そうとするところに心が打たれる。
「血のつながりって、そんなに大事なものかな?(略) 僕と繭子は血はつながっていないけれど家族だろう。家族だと僕は思っているよ。僕の両親も繭子のことを家族だと思っている。血のつながりなんて、そんなに大きなものだろうか」
養子を迎えたい夫が妻にかけた言葉である。これ、養子を考えたことがある人なら、絶対1度は通る道、というか、考えることでは…。
日本のあちこちで「多様性は大事だ」と言われて結構な時間が経った。その割には夫婦別姓は選択させてもらえないし(恨み節)、同性婚もできないし、しまじろうにはエプロンをつけて家事をするお母さんに、新聞を読んでふんぞり返っているお父さんがいる。どうも、少子高齢社会では、家族のかたちの多様性は認められていない雰囲気がある。
とはいえ、少なくとも社会のプレッシャーは無視でいいと再確認した。あなたの人生だからあなたが幸せを定義していいんだよ—そんなメッセージを感じる、「ふつう」じゃない人や家族を勇気づける小説だった。人はイエのために生まれるわけではなく、国のために働くわけでもないしねえ。
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