「男の子だねえ」「やっぱり男の子だ」「男の子だからこれからきっと…」
ことら(仮名・息子)のことをそう言われるとめちゃくちゃモヤモヤする。まだ1歳にも満たないのに、もうステレオタイプの刷り込みが始まっているのだ。そういう話題になると、わたしは意識的に話を変えるか、おいしいもののことを思い出して話を聞かない。
迎える子どもが男の子だと知ったとき、正直言うと少し戸惑った。性別の希望はなかったのだが、どこかで女の子だと思い込んでいて、「周囲が言ってくる女らしさなんて気にしなくていいんだよ。自分らしく、大きくなるんだよ」というメッセージを伝えていこうと思っていた。
しかし男の子の場合、何をどう伝えればいいんだ。東京育ちの圧倒的マジョリティだけど、マイノリティへ想いを馳せることができる子どもに育ってほしい。でもどうやって?
女の子をエンパワメントするものはたくさんあるのに、男の子へのこの手のメッセージって少なくない?
…と思っている中、この本に出会った。
ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか
タイトルだけで気になる度最高なのに、著者の子どもが養子の男の子で、勝手に親近感を覚えた。
わたしがそうだよね!!!と100回くらいうなずいたのはこの文章だ。
(子どもが)人形なりピストルなりを自然と好むようになったと、私たちは信じたいのだ。私の知っている限り、息子がいる親はほぼ全員、一度はこのような発言をしている。「好みに影響するようなことは何もしてないのよ。この子はただ自然とトラック(あるいはフットボール、スターウォーズのレゴ、その他男の子用と定義されるもの)が大好きになったの!」。しかし、ピンクとブルーの分離化がこれほど広まっており、しかもそれがごく早期に始まって、本や映画や広告や、大人からの直接的・間接的期待によって繰り返し強化されていることを考えれば、生物学的要素と社会的要素とを見分けることは不可能だ。
(中略)
「親は、男の子には一貫してジェンダーに対応したおもちゃを与える傾向がある。それは、ホモフォビアの色濃い文化において、『ピンク』の側に入った男の子の社会的代償は特に大きいと理解しているからかもしれないし、ジェンダー規範に従ってほしいという親自身の願いによるものかもしれない」。
成長の過程で、男の子は「グループに順応し所属したいから」、男の子らしいふるまいをするようになる。10歳、11歳くらいになると、人に助けを求めることは「男として出来損ない」なのだと思うようになるそうだ。
他にも男の子とは切り離せないスポーツやゲームの話も書かれていておもしろい。また、「男らしさ、女らしさ」のせいで、性的マイノリティの子どもたちが直面する困難にも触れていてすばらしい。思春期の男の子たちにクールな男性たちが性教育をする、カルガリーのワイズガイズ(WiseGuys)の取り組みが興味深かった。
読み終わって気づいた。結局、伝えるメッセージは男の子でも、女の子でも、一緒なのだ。
「周囲が言ってくる男らしさ・女らしさなんて気にしなくていいんだよ。自分らしく、大きくなるんだよ」
「はじめに」がここに公開されているのでぜひ。